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を参照してください。(2011年10月)永田 浩三
生誕 (1954-11-25) 1954年11月25日(69歳)
日本 大阪府
出身校東北大学教育学部
職業元日本放送協会ディレクター及びプロデューサー
ジャーナリスト
精神保健福祉士
武蔵大学教授[1]
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永田 浩三(ながた こうぞう、1954年11月25日 - )は、日本の社会学者、ジャーナリスト。武蔵大学社会学部教授。大阪府出身。 1977年にNHK入局[2]後、主にドキュメンタリー、教養・情報番組に携わる。1983年、『おじいちゃんハーモニカを吹いて』で芸術祭賞・放送文化基金賞[2]。ディレクターとして、「ぐるっと海道3万キロ」(アジア太平洋放送連合賞)[3]、「ドキュメンタリー'89」「NHKスペシャル」等を担当。プロデューサーとして、「クローズアップ現代」「NHKスペシャル」「ETV2001」等を制作。ギャラクシー賞・農業ジャーナリスト賞など多数受賞。 母は、広島原爆投下の爆心から800メートルの場所で被爆[4]。被爆2世として、東京都立第五福竜丸展示館や、高木仁三郎の脱原発の活動に共鳴したため関連した番組も多い。 NHKでは、工藤敏樹[5]の評伝や、伝説のカメラマン・新沼隆朗の生前の業績を共同でまとめるなど、テレビマンの記録作成に熱心であった。工藤敏樹については、さまざまな場で語るようになる。また、退職するまでNHKの若手ディレクターのための番組制作マニュアルを編集、人材育成にも尽力し続けた。 2001年、『ETV2001』のシリーズ「戦争をどう裁くか」のNHK側の統括プロデューサーを担当。NHK番組改変問題が起きて、東京高裁で原告側の証言者となってからは、番組制作の職場離れることとなった[6]。ジャーナリストの魚住昭は、永田や同じく番組に深く関与した長井暁
来歴
2002年、国谷裕子キャスターらとともに『クローズアップ現代』で菊池寛賞を共同受賞[2]。
テレビラジオ局、新聞などとの関わりは深く、練馬区を拠点に、市民や学生たちと取材・制作した番組を、さまざまな映像祭やケーブルテレビなどで発表している。また、精神保健福祉士として、自殺対策や認知症患者とともに生きる社会の実現のための活動に力を入れている。2009年に共同で制作した、「テレビみつがしわ」『私は風船爆弾を作っていた・小岩昌子の戦後64年』は、地方の時代映像祭で奨励賞を受賞した。同年、NHKを退職[7]。
2011年7月、NHKを離れて初めて番組制作に関わる。ETV特集『核をめぐる対話 ―大江健三郎・大石又七―』は、ギャラクシー月間賞を受けた。東日本大震災以降は、被災地の人々や市民メディアとの交流を深め、公開講座や出版などに取り組んでいる。2013年、大阪朝鮮高級学校ラグビー部のドキュメンタリー映画『60万回のトライ』を岡本有佳(「表現の不自由展・その後」実行委員)とともにプロデュースする。現在、江古田映画祭実行委員会代表。中国に残された元日本軍「慰安婦」を撮る写真家安世鴻の写真展を、練馬区の市民活動家とともに2回とも開かせた。また、永田の母と同郷のヒロシマの画家・ガタロの絵画展にも、空前の観客を動員した。広島原爆を描いた漫画『はだしのゲン』を学校図書館から追放しようという動きに対して、阻止するための市民の運動の先頭に立ち、成果を上げ続けている。2015年1月、武蔵大学正門前のギャラリー古藤で、『表現の不自由展』を実行委員会共同代表として企画・実施して約2700人の観客を集めた。