おさだ のりお
長田 紀生
別名義.mw-parser-output ruby.large{font-size:250%}.mw-parser-output ruby.large>rt,.mw-parser-output ruby.large>rtc{font-size:.3em}.mw-parser-output ruby>rt,.mw-parser-output ruby>rtc{font-feature-settings:"ruby"1}.mw-parser-output ruby.yomigana>rt{font-feature-settings:"ruby"0}青山 剛(あおやま ごう)
永田俊夫
長希星[1]
生年月日 (1942-01-10) 1942年1月10日(82歳)
出生地 中華民国 北京市
国籍 日本
職業脚本家・映画監督
ジャンル劇場用映画・テレビ映画・テレビアニメ映画
主な作品
映画
『修羅雪姫』
『激殺! 邪道拳』
『犬神家の一族』
『夜汽車』テレビ映画
『キャプテンウルトラ』
テンプレートを表示
長田 紀生(おさだ のりお、1942年1月10日 - )は、日本の脚本家、映画監督である[2][3][4][5][6][7][8][9][10][11][12][13][14]。別名として、青山 剛(あおやま ごう)がある[4][5][6][7][8][9][10][11][12][13]。日本シナリオ作家協会会員[4]。脚本を提供した連続テレビ映画『キャプテンウルトラ』では主題歌の作詞も手がけ、脚本家としての初期の代表作『修羅雪姫』では挿入歌の作詞・作曲も手がけた[13][15]。 1942年(昭和17年)1月10日、中華民国北京市に生まれる[2][3][4][14]。父は南満州鉄道(満鉄)勤務であったため同地で育ったが、1945年(昭和20年)8月15日に第二次世界大戦が終結、1946年(昭和21年)には内地に引揚げた[2]。 早稲田大学第一文学部演劇科に進学[2][4][14]。演劇科の同級に大原清秀、やまさき十三、松本幸四郎、小林勝也、呉徳洙、北村皆雄、シュミット村木眞寿美ら[16]。在学中に飯島正教授指導の下に映画ゼミナールを立ち上げ、映画『市民ケーン』を大原清秀と共同で脚色し[16]、戯曲としての同作を日本で初演する[17]。大原とはのちに『修羅雪姫 怨み恋歌』(監督藤田敏八、1974年)で共同脚本を執筆した[6][7][8][9][10][11]。 1965年(昭和40年)3月、先の『市民ケーン』の戯曲が東映のプロデューサーに認められ[16]、大学卒業するとともに、東映と専属脚本家契約を締結する[2][4][14]。東映東京撮影所脚本課に所属[16]。笠原和夫は1963年6月に東映を退社していたが[18]、当時の東映脚本課は、鈴木尚之を筆頭に、神波史男、松田寛夫、小野竜之介
人物・来歴
1966年(昭和41年)10月30日に公開された『地獄の掟に明日はない』(監督降旗康男)の脚本を高岩肇と共同執筆したのが、公式なデビュー作とされる[2][4][6][7][8][9][10]。1967年(昭和42年)4月に放映が始まった連続テレビ映画『キャプテンウルトラ』では、同月23日放映の第2話『宇宙ステーション危機一発 怪星ロケットギンダーあらわる』(監督佐藤肇)を初めとして6作の脚本を手がけ、冨田勲が作曲した主題歌『キャプテンウルトラ』、『宇宙マーチ』、『ハックとジョー』に歌詞を提供している[13][15]。同年10月に放映が始まった連続テレビ映画『ローンウルフ 一匹狼』でも6話を手がけ、そのうち2話連続の最終回『長い夜の果てに 前編・後編』(監督小西通雄、1968年7月2日・9日放映)を任され、山崎充朗と共同脚本を手がけた[13]。1968年(昭和43年)2月9日に公開された深作欣二監督の『博徒解散式』の脚本を神波史男と共同で執筆して以降、連続的に深作あるいは降旗康男の劇場用映画作品に起用される[6][7][8][9][10]。