永源寺
[Wikipedia|▼Menu]
.mw-parser-output .hatnote{margin:0.5em 0;padding:3px 2em;background-color:transparent;border-bottom:1px solid #a2a9b1;font-size:90%}

この項目では、東近江市の永源寺について説明しています。その他の永源寺については「永源寺 (曖昧さ回避)」をご覧ください。

永源寺

本堂
所在地滋賀県東近江市永源寺高野町41
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度4分50.1秒 東経136度19分10.5秒 / 北緯35.080583度 東経136.319583度 / 35.080583; 136.319583
山号瑞石山
宗派臨済宗永源寺派
寺格大本山
本尊観世音菩薩(世継ぎ観音)
創建年康安元年(1361年
開山寂室元光
開基佐々木氏頼
正式名瑞石山 永源寺
札所等神仏霊場巡拝の道第140番(滋賀第8番)
文化財絹本着色地蔵十王像 11幅、絹本着色約翁徳倹像、塑造寂室和尚坐像ほか(重要文化財
彦根藩井伊家墓所(国の史跡
法人番号1160005006034
.mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left}
テンプレートを表示
紅葉の時期の永源寺山門。

永源寺(えいげんじ)は、滋賀県東近江市永源寺高野町にある臨済宗永源寺派大本山寺院山号は瑞石山。本尊観世音菩薩紅葉の美しさで知られる。開山忌が、毎年10月1日に行われる。
歴史

康安元年(1361年)、近江守護佐々木氏頼(六角氏頼)が寂室元光(正灯国師)に帰依し、自ら開基となって寂室元光を開山として創建した。

最盛期には寂室元光を慕って2千人の僧が入寺し、56坊もの坊院があった。寂室元光の死後はその4人の高弟が当寺を守った。応仁の乱が始まると、京都から横川景三などの禅僧が当寺に避難してくるなどした。しかし、明応元年(1492年)、次いで永禄6年(1563年)と二度も大きな戦火を受けて全山焼失し、衰亡した。

江戸時代に入り、妙心寺の別峰紹印とその弟子で永源寺第79世となった空子元普が再興運動を始めると、寛永20年(1643年)、高名な一糸文守(仏頂国師)を招く。これにより、後水尾天皇東福門院彦根藩の帰依を受けて、伽藍が再興された。1873年明治6年)に明治政府の政策により臨済宗東福寺派に属したが、1880年(明治13年)に永源寺派として独立した。

鈴鹿山脈を挟んで東側の三重県いなべ市にも永源寺の一部があったといわれ、永源寺跡と呼ばれる場所がある。三重県いなべ市の伝承では、永禄年間(1558年 - 1570年織田信長家臣である滝川一益の軍勢が、北伊勢地方の寺を焼き払いながら迫って来たため、三重県側の永源寺の僧は兵火を逃れるため、寺の宝物などを持ち一夜にして竜ヶ岳の南側にある鈴鹿山脈石榑峠を越えて、近江の永源寺へ逃れたとされているが、永源寺側の記録には一切ふれられていない[1]。三重県いなべ市の永源寺の建物は滝川一益の軍勢によって焼き払われたが、水田周辺に石垣の一部が残されている[2]

本尊は、子がなかった六角満高が熱心に祈願していると、ついに嫡子となる六角満綱が誕生したことに由来を持つ秘仏、世継観世音菩薩である。寺内には彦根藩井伊直興の墓所がある。

サトザクラエイゲンジ(永源寺)は、本寺の境内にあったサクラが発祥である。また、東近江市永源寺地区は、永源寺コンニャク政所茶の産地であり、惟喬親王ゆかりの木地師発祥の地として知られる。また付近からは2010年平成22年)に国内最古級・1万3千年前の土偶が発掘された。
境内

方丈(本堂) -
明和2年(1765年)再建。

庫裏

書院

鎮守社

法堂 - 享保13年(1728年)再建。

開山堂 - 享保10年(1725年)再建。

鐘楼 - 安永元年(1772年)再建。

禅堂

納骨堂

経堂 - 延宝4年(1676年)再建。

僧堂

含空院 - 塔頭。

山門(滋賀県指定有形文化財) - 享和2年(1802年)再建。

総門

井伊家墓所(国指定史跡

井伊直興の墓


文化財
重要文化財

絹本着色地蔵十王像 11幅 - 陸信忠筆。

絹本着色約翁徳倹像 - 文保三年自賛あり。

塑造寂室和尚坐像

附:像内納入品

大乗経咒偈頌等(包紙添)1巻1紙 内に応安五年七月、同七年三、四月筆者永釈、永哲等の奥書がある 料紙に尚一の消息紙背を用いるものがある

銅経筒 1合

経、陀羅尼、名号、印仏、偈頌等 一括



寂室元光墨蹟(風攪飛泉詩)

寂室元光墨蹟(遺偈 貞治六年九月一日)

寂室元光消息(二月九日華蔵寺宛)

寂室元光遺誡

開山忌関係文書(一括指定)

永源寺開山
祭文(貞治六年九月二日)

永源寺開山初七日香語(貞治六年九月八日)

永源寺開山十三回忌法語(康暦元年九月一日)

永源寺開山三十三回忌陞座語並ニ香語(応永六年九月一日)

永源寺開山西宋庵入祖堂法語(永和三年季春)


永源寺文書(8,747通)61巻、14帖、1,604冊、88幅、6,748通、13鋪、3枚[3][4]

出典:2000年までの指定物件については、『国宝・重要文化財大全 別巻』(所有者別総合目録・名称総索引・統計資料)(毎日新聞社、2000)による。
国指定史跡

彦根藩主井伊家墓所

滋賀県指定有形文化財

山門 附:棟札 2枚

寂室元光墨蹟 - 出山釈迦図賛。

三千仏名経 3巻 - 寂室元光筆。

永源寺文書 269点

東近江市指定有形文化財

?子台 1基

東近江市指定名勝

永源寺境内

主な行事

3月19日 中興
一絲文守禅師法要 中興開山である一絲文守の忌日法要。

4月 1日 - 3日 万人講 三日間行われる万霊を供養する法要。

6月 7日 開基佐々木氏頼(別名 六角氏頼)公法要 佐々木氏頼の命日に行われる。

7月21日 経蔵に収められてる明版大蔵経を出して虫干しする行事。

10月1日 開山忌 寂室元光の忌日法要。 

前後の札所
神仏霊場巡拝の道
139 観音正寺 - 140 永源寺 - 141 百済寺
所在地

滋賀県東近江市永源寺高野町41

永源寺ダムとは、約1.5km離れている。

交通アクセス

近江鉄道本線(湖東近江路線、水口・蒲生野線)・近江鉄道八日市線(万葉あかね線)八日市駅から近江鉄道バス(永源寺車庫行き)で35分、永源寺前停留所下車。

名神高速道路八日市ICから車で20分、国道421号付近。

出典[脚注の使い方]^ 『鈴鹿の山と谷3』67頁。
^ 『ふるさとの散歩道(三重県)』44・46頁。
^ 平成14年6月26日文部科学省告示第119号
^ 文書の員数は官報告示による。文化庁サイトの「国指定文化財等データベース」では「13鋪、3枚」が脱落している。

参考文献

永源寺町史編さん委員会編集 『永源寺町史 永源寺編』 永源寺町、2002年3月29日

観峰館・平成28年(2016)特別企画展『開山寂室元光六五〇年遠諱 永源寺に伝わる書画』図録、2016年9月17日

関連項目

日本の寺院一覧

日本の寺の画像一覧

永源寺こんにゃく

外部リンク

臨済宗永源寺派大本山永源寺


東近江市観光協会

滋賀県観光情報
.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}ウィキメディア・コモンズには、永源寺に関連するカテゴリがあります。

典拠管理データベース
全般

VIAF

国立図書館

日本


記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:17 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef