永山則夫
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永山 則夫
個人情報
生誕
1949年6月27日[1]
日本北海道網走市呼人[2]
死没 (1997-08-01) 1997年8月1日(48歳没)
日本東京都葛飾区小菅東京拘置所
死因絞首刑
殺人
犠牲者数4人
犯行期間1968年10月11日?1968年11月5日
日本
逮捕日1969年4月7日
司法上処分
刑罰死刑
有罪判決殺人罪強盗殺人罪
判決死刑
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永山 則夫(ながやま のりお、1949年昭和24年〉6月27日[1] - 1997年平成9年〉8月1日)は、日本連続殺人犯・元死刑確定者(死刑囚)小説家北海道網走市生まれ[2]明治大学付属中野高等学校定時制中退。

1968年(昭和43年)10月 - 11月にかけ、東京京都北海道愛知の4都道府県で拳銃を用い、男性4人を相次いで射殺する連続殺人事件(連続ピストル射殺事件)を起こし、翌1969年(昭和44年)に逮捕された。一連の連続殺人を含む事件(警察庁広域重要指定108号事件)では殺人罪強盗殺人罪銃刀法違反などの罪に問われ、1990年(平成2年)に最高裁判所死刑確定。1997年8月1日に東京拘置所死刑を執行された

刑事裁判公判途中から死刑執行までの間、獄中で小説家として創作活動を続け、1983年(昭和58年)2月には小説『木橋』(きはし、1984年7月初めに立風書房から刊行)で第19回新日本文学賞を受賞している[3]
生い立ち
中学時代まで

永山則夫は1949年昭和24年)6月27日[1]北海道網走市呼人(よびと)番外地で出生した[2]。父親はリンゴ栽培技師・母親は行商人で[4]、永山は8人兄弟姉妹の第7子(四男)だった[1]。3歳のとき、一家で郊外の呼人から市内中心部に引っ越す。父親は農業試験場の試験にも合格した栽培技師だったが博打好きで、太平洋戦争への応召から帰宅後は博打に加えて飲酒もするようになり、母が一日行商で働いていた[4]。父はほとんど家にも戻らなくなる[4]。その結果家庭は崩壊した状況で現在で言うネグレクトの被害者であった。長姉(永山生誕当時19歳)が家事を担当し、永山の面倒を見た[5][注 1]。だが、彼女は婚約破棄や堕胎といった出来事の後に心を病み、永山が満4歳の誕生日を迎える前(1953年)に地元の精神科病院に入院する[5]

家事の担い手を失った母は、同年10月末に実家のある青森県北津軽郡板柳町に帰った[8][注 2]。自分の子供全員分の運賃までは用意できず、永山を含む4人の子を網走に残したままの家出だった[注 3][8]。残された永山を含む4人のきょうだいは、くず拾いやゴミ箱を漁ったりして極貧の生計を立てていた[11]。当時永山は次兄からよく殴られたと証言している[11]。しかし、1954年春、福祉事務所からの通報により、4人は板柳の母親の元に引き取られた[12]

その後、母親は網走時代同様行商で生計を立て、きょうだいを育てたが、多忙な母は永山を構うことはほとんどなかった[13]津軽弁が話せずいじめられたことから無口になり、小学校に入っても友達はできなかった[13]。自宅では次兄の暴力がエスカレートして虐待となり、泣く永山を母までが(父に似ているという理由もあって)殴った[14]。永山は小学2年生ごろから頻繁に列車に乗って家出するようになり、3年生になると北海道の森町にまで及んだ[15]。永山の引き取りで仕事に支障を来した母が次兄に注意して、虐待は止まった[15]。5年生の時に症状が回復した長姉が板柳に転居し、面倒を見たことで永山はこの学年だけは学校にほぼ通った[16]。しかし、自宅で長姉が近所の男と寝ている場面を偶然目撃したこと、その後長姉が再び堕胎し精神に変調を来して入院したことで、長姉に嫌悪感を抱いた[16]

中学に上がると、就職で家を出た兄に代わって新聞配達を始め、学校にはほとんど通わなかった[17]。中学1年生の冬に父の死亡(岐阜県の列車内だった)が伝えられる[18]。葬儀の席で、永山は母がかつて自分たちを捨てたという次兄の言葉を聞く[19]。さらに後日、父の死に顔の写真を見た永山は、父に抱いていた敬意を砕かれ(永山には父の記憶がほとんどなかった)、自殺願望を抱くようになる[20]。一方で、永山は妹や同居の姪[注 4]に暴力を振るうようになった[22]

中学2年生の夏に母は約1か月、子どもに告げずに北海道に出稼ぎに行き、3年生の秋には脳卒中で入院する[23]。これらは、永山に「母が自分を捨てた」出来事として理解された[23]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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