永代橋
[Wikipedia|▼Menu]
.mw-parser-output .hatnote{margin:0.5em 0;padding:3px 2em;background-color:transparent;border-bottom:1px solid #a2a9b1;font-size:90%}

この項目では、東京都を流れる隅田川の橋について説明しています。その他の用法については「永代橋 (曖昧さ回避)」をご覧ください。

永代橋
東京都中央区から(2008年3月)
基本情報
日本
所在地東京都中央区 - 江東区
交差物件隅田川
建設1923 - 1926年
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度40分35秒 東経139度47分15秒 / 北緯35.67639度 東経139.78750度 / 35.67639; 139.78750座標: 北緯35度40分35秒 東経139度47分15秒 / 北緯35.67639度 東経139.78750度 / 35.67639; 139.78750
構造諸元
形式スチールアーチ橋(中央径間)、鋼桁橋(両側)
全長184.7 m
幅25.0 m
関連項目
橋の一覧 - 各国の橋 - 橋の形式
テンプレートを表示
ライトアップされた永代橋(2008年11月)。江戸時代の永代橋と佃島歌川広重画)

永代橋(えいたいばし)は、隅田川にかかる東京都道・千葉県道10号東京浦安線永代通り)を通す。西岸は中央区新川一丁目、東岸は江東区佐賀一丁目及び同区永代一丁目。下流側には東京メトロ東西線が通る[1]。日の入りから21時まで青白くライトアップされる[2]重要文化財建造物、2007年指定)[3]
橋の概要

構造形式

中央径間: 下路式スチール
アーチ橋

両側: 鋼桁橋


工法 ニューマチックケーソン工法(日本初)[4]

橋長 184.7 m

幅員 25.0 m

着工 1923年大正12年)12月

竣工 1926年(大正15年)12月20日

施工主体 東京市復興局

設計 田中豊原案、竹中喜忠設計(意匠面では建築家の山田守山口文象(岡村蚊象)の関与があった)

橋桁製作 神戸川崎造船所

施工 太丸組/間組

歴史永代橋、佃島、廻船歌川広重画)
江戸期の創架

創架は元禄11年(1698年)8月1日[5]で、徳川家康江戸入府から江戸時代にかけて隅田川に架橋された5つの橋のうち、4番目[注釈 1]となる。架橋は江戸幕府5代将軍徳川綱吉の誕生から50歳を祝う[注釈 2]記念事業として[6]関東郡代伊奈忠順の指導で行われた。

架橋には上野寛永寺根本中堂造営の際の余材を使ったとされる。場所はもともと大渡し(深川の渡し)があったところで[7]、現在の橋がある位置よりも100mほど上流(西岸中央区日本橋箱崎町、東岸江東区佐賀一丁目付近)にあった。当時の隅田川の最下流河口、ほぼ江戸湊の外港だったところで、多数の廻船が通過し、付近には船手番所も置かれていた。したがって船の通行を阻害しないように完成した橋は、当時としては最大規模の大橋として造られた。橋脚満潮時でも水面から3m以上あり、長さ110(約200m)、幅3間余(約6m)、橋上からは「西に富士、北に筑波、南に箱根、東に安房上総」と称されるほど見晴らしの良い場所であったと記録(『武江図説』)に残っている。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:34 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef