氷川神社
東京都港区赤坂六丁目10番12号[1]
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度40分5.64秒 東経139度44分7.85秒 / 北緯35.6682333度 東経139.7355139度 / 35.6682333; 139.7355139 (氷川神社 (東京都港区赤坂))
氷川神社(ひかわじんじゃ)は、東京都港区赤坂六丁目にある神社。同区内白金にある白金氷川神社・元麻布にある麻布氷川神社と区別するため、赤坂氷川神社(あかさかひかわじんじゃ)とも称される。旧社格は府社で東京十社の一つ。 天暦5年(951年)、東国を遊行していた蓮林僧正が霊夢を見て、一ツ木村(現・赤坂4丁目付近)に奉斎したと伝えられる。 享保15年(1730年)4月、江戸幕府第8代将軍徳川吉宗の命により、現在地に遷された。現在の社殿はこの時に造営されたもので、東京都の有形文化財に指定されている。江戸幕府からの尊信は厚く、遷座直後に吉宗公が参拝し、14代家茂公まで歴代将軍の朱印状が下付された。麻布氷川神社、渋谷氷川神社、簸川神社などとともに江戸七氷川に数えられ、その筆頭とされる。 明治元年(1868年)、准勅祭社に列する。
祭神
素盞嗚尊(すさのおのみこと)
奇稲田姫命(くしいなだひめのみこと)
大己貴命 (おおなむぢのみこと)
由緒
境内三の鳥居の手前の参道(2014年8月)
額堂
石燈籠
浅野土佐守邸跡(浅野長矩の夫人 瑤泉院の実家) - 本氷川坂近辺。三次藩の廃藩により幕府に収公され、更地となった[3]。
大イチョウ(港区の天然記念物)[4]
包丁塚
摂末社
四合稲荷神(しあわせいなり)- 明治31年(1898年)古呂故稲荷(ころこいなり)・地頭稲荷、本氷川稲荷、玉川稲荷の4社を合祀したことに由来。勝海舟が命名。その後、大正14年(1925年)に鈴降稲荷と縁起稲荷を合祀、昭和9年(1934年)に明徳稲荷を合祀。
西行稲荷神(さいぎょういなり) - 別名「火伏の稲荷」。火災除の御神徳があると言われている。
山口稲荷(やまぐちいなり)
桶新稲荷(おけしんいなり) - 御祭神 宇迦之御魂(うかのみたまのかみ)
九神社(くじんじゃ) - 天祖神社・春日神社・鹿島神社・八幡神社・諏訪神社・秋葉神社・厳島神社・金刀比羅神社・塞神社(さいじんじゃ)の9社を合祀した神社
文化財
氷川神社社殿(東京都指定有形文化財 建造物)[2]
月岡芳年筆 『ま』組火消し絵馬(東京都港区指定有形文化財 絵画)[5]
徳川将軍家朱印状 付目録・条目・写し(東京都港区指定有形文化財 古文書)[5]
御祭礼番附留(東京都港区指定有形文化財 古記録)[5]
石燈籠四基(東京都港区登録有形文化財 歴史資料)[5]
旧紀州家 櫓太鼓(東京都港区登録有形文化財 歴史資料)[5]
祭礼山車行列額絵(東京都港区指定有形民俗文化財)[5]
奉納絵馬七点(東京都港区指定有形民俗文化財)[5]
力石(東京都港区登録有形民俗文化財)[5]
氷川神社のイチョウ(東京都港区指定天然記念物)[5]
年中行事例大祭での松平健(2016年)
1月
元旦 - 歳日祭
上旬 - 初詣巡拝バス
上旬 - 成人祭
2月
3日 - 節分祭
午の日 - 初午祭
11日 - 紀元祭
17日 - 祈年祭
4月
15日 - 四合稲荷祭
下旬 - 末廣稲荷祭
5月
5日 - 子供の日の祭り
中旬 - 御田植祭
下旬 - 西行稲荷祭
6月
30日 - 大祓式(夏越の祓)
7月
上旬 - 型代流し神事
9月
13日 - 清祓式
14日 - 前日祭
15日 - 例大祭
10月
上旬土曜 - 包丁塚祭
中旬 - 抜穂祭
11月
3日 - 文化の日の祭
15日 - 七五三祝祭
23日 - 新嘗祭
12月
23日 - 天長節
31日 - 大祓式(年越の祓)
31日 - 除夜祭
月次祭
1日、15日
氏子地域
港区元赤坂一・二丁目 全域
赤坂一 - 九丁目 全域
六本木一丁目1?3・5?10(各一部)
六本木三丁目2?7・15
六本木四丁目1・2(各一部)
虎ノ門一丁目1
ギャラリー