水鳥 寿思
選手情報
フルネーム水鳥 寿思
国籍 日本
生年月日 (1980-07-22) 1980年7月22日(40歳)
生誕地 日本 静岡県
身長172cm[1]
体重64kg[1]
所属日本体育大学→徳洲会→大阪大谷大学
獲得メダル
オリンピック
金2004団体総合
アジア競技大会
金2006 ドーハ鉄棒
世界体操競技選手権
銀2005 メルボルン個人総合
銀2007 シュトゥットガルト団体総合
銅2006 オーフス団体総合
銅2007 シュトゥットガルト個人総合
銅2007 シュトゥットガルト鉄棒
銅2007 シュトゥットガルトゆか
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水鳥 寿思(みずとり ひさし、1980年7月22日 - )は体操競技選手。徳洲会体操クラブを経て、大阪大谷大学所属。慶應義塾大学総合政策学部専任講師。血液型はA型。マネジメント契約先はスポーツビズ。目次
1 略歴
2 競技歴
3 表彰
4 逸話
5 脚注
6 関連項目
7 外部リンク
略歴」がある。5男1女の6人兄弟の二男。6人のうち5人は体操選手で、あとの1人は現在はオペラ歌手の水鳥繭見(三男)である。女子体操選手の水鳥舞夏(日本体育大学)はいとこにあたる。
このような環境もあり、幼稚園のときから水鳥体操館で体操を始め、6歳から選手コースで学ぶようになった。しかし中学時代、兄弟のうち寿思だけが全国10位以内に入れず、「家族を見返したい」という思いから親元を離れ岡山県の関西高等学校へ入学。ここで実力を伸ばし、1998年(平成10年)、全国高校選抜の個人総合で冨田洋之に次ぐ2位となった。
日本体育大学へ入学後、1999年(平成11年)全日本選手権団体総合の跳馬で右大腿骨を骨折。2001年(平成13年)にはユニバーシアードの日本代表に選抜され、これを機により上位を目指すようになった。2002年(平成14年)の全日本選手権には水鳥家の三兄弟が出場したが、個人総合決勝のゆかで左ひざ前十字靭帯損傷の大怪我を負う。1年余りのリハビリの甲斐あって、アテネ五輪選考会(兼NHK杯)では3位となり五輪代表となった。2004年(平成16年)、アテネオリンピックでは、団体で金メダルを獲得。決勝でつり輪のトップバッターを務めた。彩の国功労賞を受賞。
2007年(平成19年)、鹿島丈博が世界選手権直前に負傷したため、補欠だった水鳥が出場。団体での銀メダル、種目別での3つの銅メダルを獲得する大活躍を見せた。この4つのメダルが日本チームが獲得した全てのメダルであり、代表選考のあり方について波紋を呼んだ[2]。
2008年(平成20年)、左腕の負傷もあり北京オリンピック代表を逃したが、ロンドンオリンピック出場を目指していた[1]。
2009年8月、3歳年上の女性と結婚。
2012年4月、大阪大谷大学人間社会学部スポーツ健康学科 専任講師に就任。
2012年12月、リオデジャネイロオリンピック男子強化本部長に就任。
競技歴
1996年4月、関西高校に入学。
1998年、全国高校選抜で2位。
1999年4月、日本体育大学に入学。
2002年、全日本学生選手権個人総合で2位。
2003年4月、徳洲会に入る。
2004年5月、NHK杯体操選手権男子個人総合で3位。
2004年8月16日、アテネオリンピックの団体で優勝。
2005年11月24日、世界体操競技選手権で個人総合2位。
2006年12月6日、アジア大会体操種目別男子鉄棒で優勝。