水間鉄道株式会社
Mizuma Railway Co.,Ltd.
種類株式会社
略称水鉄(すいてつ)、MIZUMA
本社所在地 日本
〒597-0001
大阪府貝塚市近木町2番2号
設立1924年(大正13年)4月17日
業種陸運業
法人番号9120101038456
水間鉄道株式会社(みずまてつどう)は、大阪府貝塚市に本社を置き、同市を中心に鉄道事業およびバス事業を運営している会社である。略称は水鉄(すいてつ)で、公式ウェブサイトのURLも「suitetsu.com」であり、バス事業は「水鉄バス」と呼ばれる。グルメ杵屋の完全子会社。 大正時代に水間観音への参詣鉄道として敷設[4]されて以降、小規模ながらも堅実な経営を続けていた。 南海電気鉄道との結び付きが強く、かつては筆頭株主だった。ただし、南海の傘下およびグループ企業とはならず後述する経営破綻まで独立系のままだった。水間線では1990年(平成2年)まで南海から譲渡された車両を使用していた。また貝塚駅の自動改札機は、南海で1980年代に使用していたものを転用していたこともあった。 1980年代のバブル期に、沿線外での不動産事業を積極的に展開して最盛期には約20億円を売り上げたが、不動産事業がバブル崩壊後に不振に陥り、多額の借り入れが経営を圧迫した。さらに乗客が減少したことから自主再建を断念し、2005年(平成17年)4月30日に会社更生法の適用を大阪地方裁判所へ申請した[5][6]。 同年6月30日に外食チェーンのグルメ杵屋が支援企業に決定した後は、同社傘下で再建が進み、2006年(平成18年)6月16日に会社更生計画が終結し、新生会社として再出発した。 経営破綻前は鉄道・バスともにカード式乗車券は利用できなかったが、経営改善策の一環として2007年(平成19年)6月よりスルッとKANSAIに加盟。第7回スルッとKANSAIバスまつりから参加してバス車両を出展している[7]。2009年(平成21年)6月1日より鉄道・路線バスにPiTaPaを導入(コミュニティバス「は?もに?ばす」は除く)[8]、ICOCAも利用可能になった。水間線は中間駅がすべて無人駅であることから、バス型の精算機(ICカードリーダー)を電車の車内に設置している[9]。2013年(平成25年)3月23日より交通系ICカード全国相互利用サービスに対応するICカードが利用可能なった。2015年(平成27年)11月15日より「は?もに?ばす」でもICカードが利用可能となり、水間鉄道の鉄道・バス全線でICカード対応が完了した[10]。PiTaPa定期サービス[11]は提供していない。
概要
鉄道事業
主力車両の1000形
バス事業
旧来の譲渡車を置き換えた路線バス
歴史旧社章
創立から終戦まで
1923年(大正12年)8月8日[12]:仮称「水間蒸気鉄道株式会社」として鉄道敷設免許を申請、認可を受ける[13](泉南郡木島村 - 同郡麻生郷村間)[12]。
1924年(大正13年)4月17日 - 水間鉄道株式会社として設立。本店を大阪府泉南郡貝塚町大字貝塚近木974番地に置く(資本金40万円)[13]。当時は紡績・繊維産業で栄えていた貝塚の地元有志による寄付金で設立された純民間資本の鉄道会社であった[14]。
1925年(大正14年)
12月24日:貝塚南駅(のちの海塚駅) - 名越駅間が開通し[15]、水間線が開業[16]。
12月28日:南海貝塚駅 - 貝塚南駅間に貨物線が開通、貨物営業を開始[13]
1926年(大正15年)1月30日:名越駅 - 水間駅(現在の水間観音駅)間が開通、水間線が全線開業[17]。
1934年(昭和9年)1月20日:貝塚駅 - 貝塚南駅間で旅客営業を開始[13][18]。
1938年(昭和13年):水間に料理旅館「一龍」を開業[13]。
1943年(昭和18年):太平洋戦争開戦に伴い、大阪府により料理旅館「一龍」が練成場として強制買収される[13]。
戦後から1990年代まで
1949年(昭和24年):本社社屋を新築し、本店を貝塚市海塚339番地へ移転[13]。
1950年(昭和25年)12月8日:乗合バス事業を開始(蕎原線、市内循環線)[13]。