水野あおい
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水谷あおい」あるいは「水森あおい」とは別人です。

この項目では、1975年生のアイドルについて説明しています。2000年生のアイドルについては「スマイル学園」をご覧ください。

水野 あおい

基本情報
出生名大河内 庸子
(おおこうち ようこ)
生誕 (1975-11-20) 1975年11月20日(48歳)
出身地 日本埼玉県
ジャンルJ-POP
活動期間1992年 - 2000年
2020年 -
レーベルセンチュリーレコードバンダイミュージックダイキサウンド
事務所メリーゴーランドアルテミスプロモーション(1992年 - 2000年)
アイドルショット(2020年 - )

水野 あおい(みずの あおい、1975年昭和50年)11月20日 - )は、埼玉県生まれの女性アイドルで、本名は大河内 庸子(おおこうち ようこ)である。

後述のとおり、2000年に引退ライブを行ってから20年後にネット限定で活動を再開した。更に、引退ライブから23年後に生ライブを再開した[1]
概要

ツインテールフリル付きドレス(ロリィタファッションの先駆け)という出で立ちが特徴で、1990年代の「アイドル冬の時代」にあって、アイドル歌謡を歌う正統派アイドルを貫き、プレアイドル(後のライブアイドル)現象の原型となった[2][3]

アルテミスプロモーション所属で、ライブアイドルの実践的方法は同社社長の野間真と水野の活動によってつくられた面も大きい。公式ファンクラブは「おやゆび姫」。

声優アイドルやライブアイドルで、水野の影響を受けた者は多く、その代表格である桃井はるこ田村ゆかりは水野に度々言及している[注 1][注 2]
略歴
メリーゴーランド所属?アルテミスプロモーション独立まで

1991年(平成3年):メリーゴーランドに履歴書と歌を吹き込んだカセットを送る。オーディションには受からなかったが、同事務所のアイドルグループQlairの当時のマネージャーが履歴書に関心を示し、野間真に渡したのがきっかけとなり、野間は大河内と面接し、取りあえずレッスンを受けさせることにした[9]。12月、雑誌Momoco主催のクリスマスパーティに参加。初のイベント出演となる。

1992年(平成4年):5月より水野あおいの芸名で活動開始。雑誌SPA!5月13日号で“ちっちァイドル”(身長の低い―150cmそこそこ、またはこれを下回る―アイドル)として採り上げられる。10月13日から日比谷シャンテサテライトスタジオにて定期的にDJとして出演開始(1994年11月23日出演をもって降板)。11月3日から1993年9月13日までの約10ヶ月間、歌姫伝説ライブに定期的に出演[10]

1993年(平成5年):3月19日に3人組の女性アイドルグループ・フェアリーテール(他のメンバーは菊池奏衣、浅山美月)としてデビュー、ファーストシングル「不思議の国のフェアリーテール」をリリースした。しかし、7月9日には解散告知が発表され9月19日に解散。水野は事務所のスタッフ・野間真とともに独立、有限会社アルテミスプロモーションを設立。公式ファンクラブ「おやゆび姫」も設立し、18歳となった11月20日に第1回ファンの集いとして、そのファンクラブの結成式が行われた[11]。また菊池と浅山(後に渡辺幸恵と改名)は11月21日に別グループ「Tiara」を結成し、芸能活動を継続した。

ソロデビュー後?引退まで

1994年(平成6年):アルテミスの所属第1号アイドル歌手としてソロデビュー。1月12日にファーストシングル「恋なのかな???」をリリース。3月12日にセカンドシングル「春の輝き/金のボタン」発売。月刊カメラマン5月号より「あおいの業界支店」連載開始(1996年12月号で連載終了)。19歳となった11月20日当日、六本木Rホールにて初のお誕生日コンサート開催。12月16日サードシングル「見つめていたい」発売[12]

1995年(平成7年):5月13日、万世橋警察署にて一日警察署長を務める。7月21日にファーストアルバム「天使のおひるね」、続く8月2日に4枚目シングル「恋のはじまり」発売。10月には「フジカラースーパー写ルンです」で江戸時代のアイドル役としてCM出演。11月17日に5枚目シングル「とまどい」発売、20歳の誕生日直後の11月23日に目黒区民センターにて2回目のお誕生日コンサートを開催[13]

1996年(平成8年):3月21日、セカンドアルバム「Aoi Special Edition?フリル通りのくますけ?」発売、5月17日、6枚目シングル「楽園?パラダイス?」発売。5月25日から6月2日まで、東名阪ライブツアー開催。10月18日、7枚目シングル「がんばれMy Friend」、続く11月21日にサードアルバム「dear my friend.」を発売、21歳誕生日直後の11月23日に赤坂草月ホールにて3回目のお誕生日コンサート開催[14]

1997年(平成9年):3月29日?31日、おやゆび姫ファンの集いお泊まり会、これまでは国内だったが今回海外(サイパン)で初開催。5月21日発売SPA!「ニュースな女たち」に掲載、7月5日、8枚目シングル「夏の恋人」発売後、7月26日?8月10日にかけて「あおいちゃんと夏休み」ツアー全国主要都市8か所で開催。10月21日、9枚目シングル「Ring a Ding?倫子のテーマ?」発売。22歳になった直後の11月24日、駒場エミナースにて4回目のお誕生日コンサート開催。12月17日、4枚目アルバムならびにベストアルバム「Aoi century Years」発売[15]。1997年12月9日、まだオタ芸という言葉が無かった時代、ナイナイナ第29回「矢部に趣味を!(嘉門洋子、水野あおい)」で、アイドル親衛隊のオタ芸の様子が日本全国に放送される。

1998年(平成10年):1月15日?17日に名古屋・京都・大阪にてウインターライブツアー開催し、1月21日、10枚目シングル「ピンクのたんぽぽ」発売。2月14日、高田馬場AREAにてバレンタインライブ開催(2回開催で夜開催のみ森下純菜も出演)。4月21日、5枚目アルバム「sweet sweet sweetie」発売[注 3]、そのアルバムタイトルを冠したライブツアーが5月10日?6月7日まで札幌・名古屋・大阪・東京恵比寿にて開催。9月5日、11枚目シングル「秋風の午睡 (シエスタ)」発売。23歳誕生日直前の11月15日、四谷区民センターにて5回目のお誕生日コンサート開催[16]

1999年(平成11年):2月11日、12枚目シングル「Super Happy World」発売、4月29日?5月23日、ライブツアー「Happy Would Tour?幸せになろう!?」を名古屋・京都・大阪・東京渋谷の4ヵ所で開催。6月25日、13枚目シングル「"KI.RE.I"」発売、8月15日?29日、そのシングル曲を冠したツアー「Summer Live’99-HEAT UP "KI.RE.I"-」を大阪・東京恵比寿で開催。10月21日?25日、おやゆび姫ファンの集いお泊まり会、2回目の海外(オーストラリアケアンズ。森下純菜との合同)開催、24歳となった当日の11月20日、クラブチッタ川崎にて6回目のお誕生日コンサート開催[注 4][17]

2000年(平成12年):1月21日、14枚目シングルおよびラストシングル「Love Song」発売[注 5]、2月5日?6日、おやゆび姫ファンの集い、最後のお泊まり会を福島県猪苗代で開催[注 6]


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