水車
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ふきのとうのアルバムについては「水車 (アルバム)」をご覧ください。
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出典検索?: "水車" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2015年2月)
シリアではビザンチン帝国時代に水車がさかんに用いられたようである。この写真はその痕跡を残すハマーの水車。ハマーの水車は直径が小さいものでも10m程度、大きいものでは22mほどある。マイクロ水力発電に使われている水車(日本、長野県)。1556年のDe re metallicaに掲載された、採掘場で土を地上へ引き上げるための水車

水車(すいしゃ、みずぐるま、: water wheel)は、水のエネルギーを機械的エネルギーに変える回転機械。人類が開発した最も古い原動機と言え、古代から世界のいくつかの地域で利用されており、中世にはヨーロッパで非常に普及した。たとえばヨーロッパでは揚水脱穀製粉小麦の実をひいて粉にする)など農業分野で大いに用いられ、鉱物の採掘用の機械動力にも使われた。西アジア中国でも製粉や精米用など様々な用途に用いられた。日本でも平安時代にはすでに使われていたことが判っている。

18世紀後半?19世紀前半に蒸気機関が普及してゆくにつれ水車の数の増加に歯止めがかかり、さらに19世紀末ごろから20世紀冒頭ごろにかけて電動機も普及すると、水車の利用は減っていった。

しかし、現在でも水力発電において使用されているほか、少数ながら世界各地の水流が豊富な地域では現役の機械として利用されている。電力供給の無い場所でも動力を確保できる点がメリットとなる。

揚水用の水車を水汲み水車ノーリア)と言う。様々なタイプがあるが、水車の横に付けた容器(バケツ状の容器)で水をくみ上げるタイプのものが比較的多い。

水力発電に使うwater turbineウォーター・タービンのことも日本語では「発電用水車」と呼ぶ。近年では温暖化対策の面も持つマイクロ水力発電に多く使われるようになり、水車の利用価値は高まっている。

なお、トルクを与えて水流に変えるタイプの機械装置も「水車」と呼ばれる。電動機などで水車を回転させるものが揚水発電などに使われる。
歴史
紀元前2世紀ごろ小アジアで発明
動力機関としての水車は、
紀元前2世紀ごろに小アジアで発明されたといわれる。
古代ローマでの状況
古代ローマ技術者ウィトルウィウスの著作『建築について』でも水車は言及されているが、滅多に使われない機械としており、奴隷労働の豊富な古代ローマ社会においては一般に余り普及しなかったようである。
中世以降に普及
むしろ文明の中心が地中海沿岸を離れ、中欧西ヨーロッパに移行した中世以降に、同地域では安定した水量が得られる土地柄も相まって水車の利用は活発になり、急激に台数が増えた。1086年イングランドの古文書では、推定人口140万人の同地に5642台の水車があったことが記録されている。動力水車の使用法としては、それまではもっぱら製粉に限られていたが、10世紀ごろからは工業用動力としても使われるようになった。
中国
中国においては水力原動機らしきものはにみられ[1]の時代には水車力を用いて紡績工場さえ作られたようであるが、その後の発展は見られなかった。
イスラム圏
イスラム圏においても水車が用いられ、農業に用いられ、製粉も行われた。ヨーロッパのように工業用原動力として使用されることはなかった。なお、イスラム圏においてはハマーの水車(ノーリア)が有名であり、大規模な17機の農地灌漑用水車群が現在でも残り観光名所となっている。
日本での歴史

日本では『日本書紀』において推古18年(610年)高句麗から来た曇徴(どんちょう)が、碾磑(てんがい)という水車で動くを造ったといわれ、平安時代天長6年(829年)良峯安世が諸国に灌漑用水車を作らせたとある。鎌倉時代の『徒然草』には宇治川沿いの住民が水車を造る話がある。

室町時代15世紀に日本へ来た朝鮮通信使朴瑞生は日本の農村に水揚水車がある事に驚き、製造法を調査し本国に報告したことが『朝鮮王朝実録』に記述されており、江戸時代の11回朝鮮通信使においても、同様に日本の水車の普及に驚いた事が記述されている。

動力水車の本格的な使用は江戸時代になってからといわれている。白米を食する習慣の広がりとともに、精米穀物製粉のために使用されたが、江戸時代後期には工業的原動力としても部分的に使用された。水車を利用した製粉業は「水車稼ぎ」と呼ばれ、水車稼ぎに利用される用水は主に農業用水であった。

これらの水車は、水車を覆う外装部品がないため効率が低いものであった。そのため第二次世界大戦後には電動機や内燃機関の普及により日本国内では衰退したが、観光資源もしくは農業目的にて利用されている。逆に、水車を覆う外装部品がある水車は効率が90%前後と高い。このため発電用水車として独自に発展していった。

日本では現代でも木製の水車を作成する大工(水車大工)がいる[2]。@media all and (max-width:720px){.mw-parser-output .mod-gallery{width:100%!important}}.mw-parser-output .mod-gallery{display:table}.mw-parser-output .mod-gallery-default{background:transparent;margin-top:.3em}.mw-parser-output .mod-gallery-center{margin-left:auto;margin-right:auto}.mw-parser-output .mod-gallery-left{float:left;margin-right:1em}.mw-parser-output .mod-gallery-right{float:right}.mw-parser-output .mod-gallery-none{float:none}.mw-parser-output .mod-gallery-collapsible{width:100%}.mw-parser-output .mod-gallery .title,.mw-parser-output .mod-gallery .main,.mw-parser-output .mod-gallery .footer{display:table-row}.mw-parser-output .mod-gallery .title>div{display:table-cell;text-align:center;font-weight:bold}.mw-parser-output .mod-gallery .main>div{display:table-cell}.mw-parser-output .mod-gallery .gallery{line-height:1.35em}.mw-parser-output .mod-gallery .footer>div{display:table-cell;text-align:right;font-size:80%;line-height:1em}.mw-parser-output .mod-gallery .title>div *,.mw-parser-output .mod-gallery .footer>div *{overflow:visible}.mw-parser-output .mod-gallery .gallerybox img{background:none!important}.mw-parser-output .mod-gallery .bordered-images .thumb img{outline:solid #eaecf0 1px;border:none}.mw-parser-output .mod-gallery .whitebg .thumb{background:#fff!important}

富嶽三十六景の「隠田の水車」。江戸穏田川にかかる水車を描いたもの。富嶽三十六景は江戸時代、1830年代の名所絵集であるが、当時、穏田川にはいくつか水車が設置されていたという(現在の神宮前周辺に当たる)。

長野県長野市に19世紀に建造された水車小屋。現在、川崎市多摩区日本民家園に移築。

日本民家園に移築された水車小屋の内部。心棒の回転を歯車に伝えて米搗き臼、粉ひき臼を運営する。

水車小屋、大正時代


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