水路部_(日本海軍)
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水路部(すいろぶ)は、旧日本海軍の組織の一つで、海軍省外局海図製作・海洋測量海象気象天体観測を所掌した。現在、その業務は海上保安庁海洋情報部が担当している。目次

1 沿革

1.1 前史

1.2 水路局

1.3 水路寮

1.4 水路局

1.5 海軍水路部

1.6 水路部


2 庁舎

3 歴代部長

4 脚注

4.1 注釈

4.2 出典


5 参考文献

6 関連項目

7 外部リンク

沿革
前史

長崎海軍伝習所の第1期伝習生の小野友五郎は、安政2年(1855年)10月から天測と測量術を学び、咸臨丸の太平洋横断時には、航海、測量士官として乗り組んで経緯度を測った[1]。また文久元年(1861年)12月の小笠原方面開拓では、咸臨丸船長として参加してこの方面の測量を行い、日本水路事業の発端を開いた[1]

明治2年(1869年)7月に兵部省が発足し、11月に兵部大丞・川村純義は、柳楢悦伊藤雋吉を兵部省御用掛とし水路事業を進めるよう命じた[1]。明治3年(1870年)5月、両名は「第一丁卯艦」に乗艦しイギリス軍艦「シルビア号」(HMS Sylvia、750トン、150馬力)と協同で、本州南岸、志摩的矢、紀州尾鷲泊地、瀬戸内海塩飽諸島、備讃瀬戸方面の測量を行った[2]。また柳は明治4年(1871年)2月に「春日艦」の艦長となり、「シルビア号」と共に北海道沿岸の測量を行った[2]。この測量には伊藤も参加している[2]
水路局

明治4年7月28日(1871年9月12日)、兵部省はを陸軍部と海軍部に分けられ[2]、同日海軍部に秘史局、軍務局、造船局、會計局と「水路局」が置かれた[3][4]。後の1941年(昭和16年)7月28日に水路部創立記念日は7月28日と定められている[5]。または同年9月8日(1871年10月21日)、海軍部に「水路局」が設けられた[2](兵部省海軍部内條例[6])。水路局の所管事業は水路測量、浮桶(浮標)、瀬印(立標)、燈明台(灯台)に関するものと定められた[2]。また水路局の下には2つの掛が設けられた[7]

記注庶務掛:浮桶瀬印燈明台ヲ築造製作シ入用ノ諸物ヲ蓄蔵シ及浮桶等位地転移ヲ詳記シ水路測量諸図管轄等一切ノ庶務ヲ司ル事

會計勘査掛:諸金額出納会計並ニ現在器械諸物品ノ用不要等ノ勘査ヲ司ル事

定員は監督長官として少将、その他に大佐1名、少佐2名とされたが、実際には北海道測量を行っていた柳少佐以下の人員を当てる以外無かった[8]。柳少佐が9月12日(1871年10月25日)に水路掛となり、その他3名の計4名が水路局の最初の人員となった[8]

明治5年2月28日(1872年4月5日)に海軍省が設置され[3][注釈 1]、「水路局」は海軍省にそのまま引き継がれた[9]
水路寮

明治5年10月22日(1872年11月22日)[10](または同年10月13日(1872年11月13日)[9])に「水路局」が廃止され、海軍卿直轄の「水路寮」を設置、海軍省の外局となった[9](太政官第305号[11])。


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