その他の同名の人物については「水谷豊 (曖昧さ回避)」をご覧ください。
みずたに ゆたか
水谷 豊
2014年2月23日、東京競馬場にて
本名水谷 豊
生年月日 (1952-07-14) 1952年7月14日(71歳)
出生地 日本・北海道芦別市
出身地 日本・東京都立川市
身長168 cm
血液型A型
職業俳優・歌手
ジャンルテレビドラマ・映画
活動期間1968年 - 1970年
1972年 -
活動内容1965年:劇団ひまわり入団
1968年:テレビドラマ初出演
1970年:映画初出演
1977年:歌手デビュー
配偶者ミッキー・マッケンジー
(1982年 - 1986年)
伊藤蘭(1989年 - )
著名な家族趣里(長女)
所属劇団劇団ひまわり(1965年 - 1970年)
事務所トライサム
公式サイト公式プロフィール
受賞
日本アカデミー賞
優秀主演男優賞
1981年『幸福』
その他の賞
キネマ旬報ベスト・テン
主演男優賞
1976年『青春の殺人者』橋田賞
2009年日本レコード大賞
企画賞
2008年『TIME CAPSULE』
テンプレートを表示
水谷 豊(みずたに ゆたか、1952年〈昭和27年〉7月14日 - )は、日本の俳優・歌手・映画監督・実業家。Trysome Bros.LLC合同会社代表社員[1]。
北海道芦別市出身[2][3]。トライサム所属。妻は伊藤蘭。長女は趣里。
身長168cm、体重60kg、血液型はA型[4]。 四人兄弟の末っ子[3]。北海道芦別市野花南で生まれる[3]。父親はすぐに仕事を変えては転々とし[3]、家族もこれに伴い、北海道の各地を転々[3]。北海道時代の記憶はほとんどないという[3]。8歳、小学2年の時[3][5]、父が東京都立川市で土建業を興し[3]、以降、立川で育ち[3]、俳優デビュー後も20代半ばまで実家に住んだ[3]。 立川市立立川第四小学校[3]、立川市立立川第一中学校卒業[3]。大成高等学校(三鷹市)卒業[3]。 少年時代に白黒テレビを見て「この小さな箱がどうやって映るんだろう。いつかこの小さな箱に入ってみせるぞ」と考え、これが演劇の世界に入る遠因となったとしている[注釈 1]。だが、少年時代は演劇などよりも大鵬の土俵入りの流麗さにあこがれ、相撲の力士になりたかったという[6]。趣味は手品をすることである。猫を飼っている[7]。 1965年、12歳のとき演劇に興味を持ち劇団ひまわりへ入団する[3]。 1967年、同じ劇団ひまわりの江木俊夫主演のマグマ大使第9話にマモルの同級生役として出演。これにて俳優デビュー。 1968年、フジテレビの『バンパイヤ』のオーディションを受け、主役に抜擢される[3]。第一話では原作者・手塚治虫との共演を果たしている。1970年には『その人は女教師』(共演:岩下志麻)で映画デビューを果たす。 しかし「小さな箱に入る」という目的を達成し、高校入学後に自分にはもっと合った世界があると思っていたことと、大学受験も考えていたため、劇団ひまわりを退団し一度芝居を辞めた[3][5]。 その後、東京商船大学(現・東京海洋大学)受験に失敗し、働きながら浪人生活を始めるが、あるときに「こんなことやっていてもいいのか?」という気持ちに強烈に襲われ、「来年もう一度受けるといってもそれまで自分のこの状態じゃ持たない」と思い発作的に2ヶ月ほど家出をした。その際、はじめは行くあてもなかったため、家の近所の公園の滑り台の上で野宿していたという。その後山梨県山中湖までたどり着き、湖畔のレストハウスで2ヵ月間働く[3]。 2年間のブランクを経て1972年『泣くな青春』(フジテレビ)で芸能活動を再開[5]。
来歴
生い立ち
デビュー
活動再開
Size:152 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
担当:undef