水源_(小説)
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水源
The Fountainhead
著者
アイン・ランド
発行日1943年
発行元ボブスメリル社
ジャンル思想小説
アメリカ合衆国
言語英語
形態文学作品
前作われら生きるもの
次作肩をすくめるアトラス
コード

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『水源』(すいげん、原題: The Fountainhead)は、1943年に出版されたアイン・ランドの最初のベストセラー小説である。これまでに世界で700万部が売れている。

『水源』の主人公のハワード・ロークは、若い個人主義的な建築家である。彼は自分の芸術的・個人的なビジョンを犠牲にして世間に認められるよりも、無名のまま苦闘し続けることを選ぶ。本作品は、権威層が伝統崇拝に凝り固まる中、自身が最高と信じる建築(世間は「現代建築」と呼ぶ建築)を追求する主人公の闘いをめぐる物語である。主人公ロークに対する他の登場人物たちの関わり方を通じて、ランドが考える様々な人格類型が描き出される。『水源』で描かれる人格類型はすべて、ランドにとっての理想の人間像である自立・完全の人物ロークから、ランドが「セコハン人間」(second-handers)と呼ぶ人間像までの、様々な変化形である。ロークの前進を支援する人物、妨害する人物、あるいはその両方を行う人物など、様々なタイプの人物たちとロークの複雑な関係を描くことで、この小説は恋愛ドラマであると同時に思想書でもある作品になっている。ランドにとってロークは理想の人物の具現化であり、ロークの苦闘は、個人主義集産主義に勝利するというランドの個人的信念を反映している。

本作品の原稿は12の出版社から出版を拒否され、最終的にボブスメリル社 (Bobbs-Merrill Company) の編集者アーチボルド・オグデン (Archibald Ogden) が、自らの職を賭して出版させた。当時のメディアからのレビューは毀誉褒貶相半ばしたが、口コミで熱心なファンが広がり、ベストセラーになった。本作品は1949年に映画化された(邦題『摩天楼』)。映画版の脚本はランドが書き、ゲイリー・クーパーが主人公ロークを演じた。
あらすじ

1922年の春、建築家を目指してスタントン工科大学で建築学を専攻していたハワード・ロークは、慣例に固執する教授たちに従うことを拒否し、退学処分を受ける。ロークを擁護する一部の教授たちの努力や、その後の当局からの処分取消の申し出にもかかわらず、ロークは大学を辞める。建物の形は、場所・素材・目的に最も適合するように、かつ気品および効率が最大化するように決めるべきだと、ロークは信じている。ロークを批判する者たちは、歴史ある様式に従うことが決定的に重要だと主張する。ロークは、彼が尊敬する建築家で、今は落ちぶれているヘンリー・キャメロンの下で働くため、ニューヨークに行く。スタントン工科大学でのロークの同級生で、世間受けは良いが中身のない人物であるピーター・キーティングは、優秀な成績で大学を卒業し、ニューヨークの名声ある建築事務所、フランコン&ハイアーに就職する。キーティングは、就職先の経営者、ガイ・フランコンに取り入り、フランコンのお気に入りになる。ロークとキャメロンは天才的な設計をし続けるが、ほとんど認められない。一方でへつらい上手のキーティングは、駆け足で出世していく。キーティングは権力者への道を急ぐため、社内での競争相手を次々に排除する。キーティングによる社内競争相手の排除は、最終的にフランコンのパートナー経営者、ルーシャス・ハイアーが、キーティングに恐喝されて心臓発作で死ぬまで続く。

フランコンの共同経営者になったキーティングは、キャメロンが引退した後、フランコンにロークを雇わせる。しかしフランコンは、自分の命令に従わなかったロークをただちに解雇する。ロークは別の建築事務所に短期間勤めた後、自分自身の事務所を設立する。しかしクライアントを見つけるのに苦労し、事務所を閉じて、フランコンが所有する花崗岩採石場で石切人夫として働き始める。キーティングは、フランコンの美しく気まぐれで理想主義的な娘、ドミニクに興味を持ち始める。ドミニクは、イエロー・ペーパー「ニューヨーク・バナー」にコラムニストとして勤務している。ロークはドミニクに魅了され、ドミニクとの意地の張り合いの末、彼女を暴力的に犯す。その直後、ロークは新しいビルの設計を依頼するクライアントからの手紙を受け取り、ドミニクに名前を知られぬまま、ニューヨークに戻る。

「ニューヨーク・バナー」紙の人気建築コラムの執筆者、エルスワース・M・トゥーイーは、歯に衣着せぬ批判をする社会主義者で、自分のコラムを通じて、また自分が組織した影響力ある人物たちのサークルを通じて、世論を操作することによって隠然たる権力を握っていく。トゥーイーは、ロークを中傷するキャンペーンを始める。トゥーイーは、頭の弱い事業家を説得して、人間の精神を讃える神殿の設計をロークに依頼させる。ロークはこの神殿にドミニクの裸像を置くが、世論はこれに反発する。トゥーイーは神殿の依頼主の事業家を操り、ロークを告訴させる。裁判で、キーティングを含む著名な建築家たちは、ロークのスタイルが非正統的で不合理であると証言する。ドミニクはロークを弁護する証言をするが、ロークは敗訴する。自分自身の敗北、そしてロークを讃える仲間たちの敗北に心をくじかれたドミニクは、キーティングに結婚を申し出る。キーティングは、トゥーイーの姪のキャサリンとの婚約を破棄し、ドミニクと結婚する。その後ドミニクは、ロークに設計を依頼しそうな人物を見つけては、ロークではなく、キーティングに依頼するよう説得するようになる。ロークはドミニクの妨害にもかかわらず、細々とだが着実に依頼主を獲得し続ける。

ドミニクは、キーティングに名誉ある設計案件を勝ち取らせるため、「ニューヨーク・バナー」のオーナーで編集主幹のゲイル・ワイナンドに近づく。ワイナンドは、大型案件をキーティングに発注するのと引き換えに、ドミニクを自分に譲るようにキーティングに要求する。その後ドミニクはキーティングと離婚し、ワイナンドと結婚する。その後ワイナンドは、自分が気に入る建物はすべてロークの設計であることを知り、自分とドミニクの新居の設計をロークに依頼する。ロークの設計でワイナンドとドミニクの新居が建ち、ロークとワイナンドは親友になるが、ワイナンドはロークとドミニクの関係を知らない。

キーティングは、多くの建築家が切望する公営集合住宅コートランド・ホームズの設計の仕事を獲得するべく、トゥーイーに口利きを懇願する。キーティングはロークに、コートランド・ホームズの設計を手伝ってくれるように依頼する。ロークは、自分が設計したことを決して明かさないことと、完全に自分の設計どおり建てられることを条件に、キーティングの依頼を引き受ける。ロークがワイナンドとの長期の旅行から帰ってみると、キーティングの約束に反し、コートランド・ホームズは変更された設計で建てられていた。ロークは、コートランド・ホームズを爆破する。

ロークを糾弾する声が国中から上がるが、ワイナンドは部下の記者・編集者に命じて「ニューヨーク・バナー」の紙面でロークを擁護させる。「ニューヨーク・バナー」紙の販売部数は落ち、スタッフたちはストライキに入るが、ワイナンドはドミニクの助けを借りて新聞を発行し続ける。新聞社を閉鎖するか、ローク擁護を撤回するかの選択を迫られるに至り、ワイナンドは、ロークを糾弾する記事を自分の署名入りで掲載することを選ぶ。コートランド・ホームズ爆破事件の裁判で、ロークは陪審員や傍聴人たちの感情をかき立てる演説を行い、無罪になる。ドミニクはワイナンドと離婚し、ロークのものになる。ワイナンドは「ニューヨーク・バナー」を閉鎖し、高層ビル「ワイナンド・ビルディング」の設計をロークに依頼する。18ヶ月後、「ワイナンド・ビルディング」の建設現場に訪ねてきた妻ドミニクを、天空にそびえる建設中の摩天楼の頂きに立つロークが迎えるシーンで物語は終わる。
背景

1928年、セシル・B・デミルは、映画「スカイスクレイパー」(Skyscraper、1928年)の脚本の執筆をランドに依頼した。ダッドリー・マーフィー(Dudley Murphy)による原作では、ニューヨークのある高層ビルの建設に携わる2人の建設労働者が、1人の女性の恋人の座をめぐって争う物語だった。ランドはこの物語を、2人の建築家のライバル関係に変えて書き直した。2人の建築家の1人はハワード・ケーン(Howard Kane)という名前で、使命に身を捧げる理想主義者であり、様々な困難に打ち克ち高層ビルを建設する人物として描かれた。エンディングでは、完成した高層ビルの頂上に立つケーンが、勝利に胸を張り空を見上げるとされていた。最終的にデミルはランドの脚本を却下し、映画はマーフィーの原作に従って制作されたが、ランドによる幻の脚本には、彼女が後に『水源』で使用するさまざまな要素が含まれていた[1]

1999年に発行された『ジャーナル・オブ・アイン・ランド』(The Journals of Ayn Rand)[2] の編集者、デイヴィッド・ハリマン(David Harriman)も、ランドの初期の未完の小説のノートに、『水源』のいくつかの要素が既に登場していることを指摘している。この未完の小説の主人公は、ある牧師から耐え難い責め苦を受け、最終的にこの牧師を殺し、刑に処される。世間からは美徳の化身と見なされているが実際には怪物であるこの牧師は、多くの点でエルスワース・トゥーイーに似ており、この牧師の暗殺は、スティーヴン・マロニーによる未遂に終わったトゥーイー殺害に重なる。

ランドは1934年に最初の小説『われら生きるもの』を完成させたのに続き、『水源』の執筆に着手した。最初のタイトルは『セコハン人生』(Second-Hand Lives)だった。ある程度ランド自身の個人的な体験を題材にした『われら生きるもの』と異なり、建築というあまり馴染みのなかった世界を題材にした小説を書くにあたり、ランドは広範な取材を行った。取材の一環として、ランドは建築家の伝記や建築に関する書物を多数読んだほか[3]、建築家エリー・ジャックス・カーン(Ely Jacques Kahn)の事務所で無給のタイピストとして働かせてもらった[4]

ランドは当初、「1つのテーマでしか書けない作家」と見なされるのを避けるため、『われら生きるもの』よりも政治性の薄い小説を書こうとしていた[5]。『水源』のストーリーが形作られるにつれて、この小説で個人主義をめぐって展開される思想に、ランドはより政治的な意味を見出すようになった[6]。また、当初ランドは、4つあるセクションのそれぞれを、自分の思想形成に影響を与えたフリードリヒ・ニーチェの言葉で始めるつもりだった。しかしやがてニーチェの思想が彼女の思想とあまりに異なっていると判断するに至り、ニーチェの言葉を引用するのはやめた。最終原稿に残っていたニーチェへの間接的な言及も、編集で削除した[7]


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