水沢VLBI観測所
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20mアンテナ

水沢VLBI観測所(みずさわブイエルビーアイかんそくじょ[注釈 1]: Mizusawa VLBI Observatory[2])とは、岩手県奥州市水沢星ガ丘町にある国立天文台観測所である。

国立天文台の中では、現存する一番古い観測所の一つであり、1899年以来、同地で観測を行ってきた。
概要正門

日本及びアジアにおける国際測地学研究の拠点となる旧臨時緯度観測所として発足してから、極運動地球の自転など地球回転に関連する天文学測地学地球物理学の観測、計算および研究を行ってきた[3]。この観測事業に取り組んだ木村栄が、近代測地学の世界的業績であるZ項を発見した場所でもある[4]1980年代後半からそれまでの位置天文学研究の蓄積が生かされる観測施設として超長基線電波干渉法 (VLBI) を用いるVERAの開発に取り組み[5][6]2003年にVERAの運用を開始して天の川銀河の観測・研究を行っている[7]。また、VLBIやGPSを用いた測地観測や地球の大気による電波遅延観測、傾斜計、歪み、重力計を用いた地球潮汐観測なども継続している[8]

1999年から2009年までの組織名称にも含まれていた「VERA」とは、相対基線法による超長基線電波干渉法(VLBI)観測のことであり、精密な銀河マップを作製することを目的に、日本各地にあるVLBI観測点を専用ネットワークで結んだ観測点の解析センターの役割を担っている[1]

また、水沢VLBI観測所の主な活動拠点である水沢キャンパスには、同観測所の前身の一つである旧水沢観測所のサブプロジェクトから発展したRISE月惑星探査プロジェクトも活動拠点を置いており、これまでの観測・研究で培った測地学的な研究手法を応用して、月惑星測地学探査に必要な機器開発を実施して月周回衛星「かぐや」において月の重力と地形の測定を担当し、その後は小惑星探査機「はやぶさ2」、木星系探査計画「JUICE」、火星衛星探査計画「MMX」に参加している[9]

同観測所の前身である旧緯度観測所は極運動地球の自転変動を観測するために高精度の時計を必要としていたことから、旧東京天文台(国立天文台三鷹の前身)や旧電波研究所情報通信研究機構の前身)とほぼ同じ1960年代末から協定世界時 (UTC) を刻むセシウム原子時計を運用しており[10][11][12]、またVLBIには周波数安定度に優れた水素メーザー原子周波数標準器を利用している。こうした事情から、1996年度に国立天文台の天文保時室が三鷹から水沢に移転してきているが[13]、2022年4月に天文保時室が天文情報センターに移管したことから再び三鷹に戻ることが予定されている[14]
沿革観測所創立50周年記念切手(1949年発行)
国際緯度観測事業の時代
臨時緯度観測所?万国緯度観測事業の開始?

1894年6月15日にベルリンにおいてプロイセン王国ベルリン天文台ヴィルヘルム・フェルスターから万国測地学協会 (IAG) の「万国天文台」設置計画について照会があり、1895年に日本政府がこれを承諾する。万国測地学協会 (IAG) において地軸変動の規則性等を研究するために「万国天文台」を設置する計画で、その一つを日本国内に設置するものであった[15]

1896年9月30日に開会した万国測地学協会 (IAG) 第11回委員総会(ベルリン)において、日本政府は国内に設置する「万国天文台」は日本政府が造営し、台長は日本の天文学者、台員は日本政府職員を充てる等の条件を提出し[16]、総会に出席した田中舘愛橘の論述があり決議でこれを全て承認した[17][18]

1897年に日本政府は「万国測地学協会天文台」(万国観測所)の設置位置を調査するために調査委員を岩手県水沢地方に派遣し、地図調製、気象観測地質調査をさせた[19][20]。さらに、日本国内に設置する緯度観測所の位置調査や万国測地学協会 (IAG) との交渉に関する体制の強化を図るため、1898年4月27日に測地学委員会を設置した。測地学委員会は文部大臣の監督に属した[21][注釈 2]

1898年10月の万国測地学協会 (IAG) 第12回総会(シュトゥットガルト)に、万国測地学協会委員の理学博士田中舘愛橘と弟子の測地学委員会臨時委員木村栄が参列した。万国緯度観測事業で世界の6か所に置く国際緯度観測所の一つは、田中舘愛橘が調査結果を報告した岩手県胆沢郡水沢町またはその附近に決定した[18][20][25][26]

1899年4月10日、万国緯度観測事業に関する日本政府と万国測地学協会 (IAG) との条約の締結を閣議決定した。条約にはウァンシャッフ氏天頂儀(ワンシャフ製眼視天頂儀)、良好なる恒星時クロノメートルなどの観測所の設備が列挙された。万国緯度観測事業の継続期限は仮に1899年7月1日から約8か年間とする計画であるが、まずは5か年間に限って観測してその後の総会で決めることとし、また1906年以後に万国測地学協会に関する条約の更新に合わせて延長の可否を決めることとなる[25][27]

同年9月22日に臨時緯度観測所(りんじいどかんそくじょ[28]: International Latitude Observatory, Mizusawa[29])を設置した[20][27][3]。臨時緯度観測所は文部大臣の管理に属し緯度変化の観測に関する事務を掌り、所長は文部大臣の指揮監督を承けるとともに、観測に関しては測地学委員会委員長の指揮を承けるとされた。


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