みずき しげる水木 しげる
文化功労者選出に際して
公表された肖像写真
本名武良 茂(むら しげる)
生誕 (1922-03-08) 1922年3月8日
日本・大阪府西成郡粉浜村(現・大阪市住吉区東粉浜)
死没 (2015-11-30) 2015年11月30日(93歳没)
日本・東京都三鷹市
国籍 日本
職業漫画家
称号紫綬褒章
旭日小綬章
文化功労者
東京都名誉都民
調布市名誉市民
鳥取県名誉県民
活動期間1958年 - 2015年
ジャンル妖怪漫画・戦争漫画
代表作『ゲゲゲの鬼太郎』
『河童の三平』
『悪魔くん』
『総員玉砕せよ!』
『のんのんばあとオレ』
『日本妖怪大全』
受賞
第6回講談社児童漫画賞(『テレビくん』)
第13回講談社漫画賞(『コミック昭和史』)
第25回日本漫画家協会賞文部大臣賞(『ゲゲゲの鬼太郎』)
第37回児童文化功労賞
第29回星雲賞アート部門
第7回手塚治虫文化賞特別賞
第5回織部賞グランプリ
第34回アングレーム国際漫画祭最優秀作品賞(『のんのんばあとオレ』)
2008年:朝日賞
第36回アングレーム国際漫画祭遺産賞(『総員玉砕せよ!』)
2012年:アイズナー賞最優秀アジア作品賞(『総員玉砕せよ!』)
2015年:アイズナー賞最優秀アジア作品賞(『コミック昭和史』)
公式サイトげげげ通信
水木 しげる(みずき しげる 、本名:武良 茂〈むら しげる〉、1922年〈大正11年〉3月8日 - 2015年〈平成27年〉11月30日[1])は、日本の漫画家、妖怪研究家[2]、紙芝居作家。
大阪府大阪市住吉区出生[3][4]、鳥取県境港市入船町育ち[3][5]。ペンネームは、紙芝居作家時代に兵庫県神戸市の水木通り沿いで経営していたアパート「水木荘」から名付けた[6]。1958年に漫画家デビュー。代表作となる『ゲゲゲの鬼太郎』『河童の三平』『悪魔くん』などを発表し、妖怪漫画の第一人者となる。
概要「山高帽の水木先生」像(鳥取県境港市)
1922年(大正11年)に大阪で生まれ、鳥取県境港市で育つ。幼少時、神仏に仕える拝み屋の妻でまかない婦として家に出入りしていた景山ふさ(のんのんばあ)が語り聞かせた妖怪の話に強い影響を受ける。
高等小学校卒業後、画家を目指して大阪で働きながら学ぶ。やがて徴兵年齢に達し1943年に召集され、大日本帝国陸軍軍人として第二次世界大戦下のニューギニア戦線・ラバウルに出征。過酷な戦争体験を重ね、アメリカ軍やオーストラリア軍の攻撃で左腕を失う。一方で現地民のトライ族と親しくなり、ニューブリテン島に残ることも希望したが、周囲の説得で日本へ復員した。
復員後は貧窮により画家の修行を諦め、生活のために始めた紙芝居作家を経て上京。1958年、貸本漫画『ロケットマン』で貸本漫画家としてデビュー。1960年から断続的に『墓場鬼太郎』シリーズを発表し始める。
1961年、飯塚布枝と見合い結婚。1963年、『悪魔くん』を貸本の東考社から出版。1964年、『ガロ』で商業誌デビュー。
1965年に『テレビくん』で講談社児童まんが賞を受賞し、貸本時代に描いていた『ゲゲゲの鬼太郎』や『河童の三平』といった作品が『週刊少年マガジン』『週刊少年サンデー』にそれぞれ掲載され、妖怪を扱った作品により人気作家となった。1966年には『悪魔くん』がテレビドラマ化。
最大のヒット作となった『ゲゲゲの鬼太郎』は1968年より6度テレビアニメ化されている。
1993年、幼少期を過ごした境港市に町おこしとして水木しげるロードが建設され、2003年には水木しげる記念館が開館した。
長年の漫画と妖怪文化への功績が称えられ、1991年に紫綬褒章、2003年に旭日小綬章を受章。2007年、『のんのんばあとオレ』によりフランス・アングレーム国際漫画祭で日本人初の最優秀作品賞を受賞。また1973年に執筆した『総員玉砕せよ!』がアングレーム国際漫画祭遺産賞、米アイズナー賞最優秀アジア作品賞をそれぞれ受賞している。
妖怪研究家として、世界妖怪協会会長、日本民俗学会会員、民族芸術学会評議委員などを歴任。
調布市名誉市民、東京都名誉都民、鳥取県名誉県民。2010年に文化功労者にも選ばれた。2013年から『水木しげる漫画大全集』が刊行。