水戸電気鉄道
種類株式会社
本社所在地 日本
茨城県水戸市鉄砲町666[1]
設立1927年(昭和2年)7月30日[1]
業種鉄軌道業
事業内容旅客鉄道事業[1]
代表者代表取締役 中崎憲
水戸電気鉄道線
路線総延長11.2 km
軌間1067 mm
停車場・施設・接続路線(廃止当時)
凡例
水戸電気鉄道線(みとでんきてつどうせん)は、かつて茨城県の水戸市と東茨城郡茨城町を結んでいた、水戸電気鉄道の鉄道路線である。1936年(昭和11年)に全線が廃止された。 廃止直前 電気鉄道という名を冠し、直流電化路線として建設する計画であったが、最後まで電化されることはなかった。近隣の新治郡柿岡町(現・石岡市柿岡)にある中央気象台附属柿岡地磁気観測所に影響を与える恐れがあるとして、計画当初は電気運転の認可が下りなかったためである。開業後の1933年(昭和8年)になって認可が下りたが、そのころには毎年累積していた赤字により、電化工事を行う企業体力はなくなっていた。 1928年(昭和3年)2月23日当初、施工線は茨城県水戸市から同県東茨城郡竹原村(現・小美玉市)までを電気鉄道にて結ぶ計画[2]であり、停留所は新水戸・吉田・吉沢・小鶴・小幡・堅倉の6駅とされていた。 計画当初は水戸石岡電気鉄道と名乗り、その名の通り水戸 - 石岡間を水戸街道(陸前浜街道)沿いの最短距離で結ぶことが目的とされた。当時すでに開業していた鉄道省常磐線は同区間を友部経由で遠回りするルートとなっており、水戸街道近辺の住民にとっては不便をきたしていたことが当路線建設のきっかけであった。 しかし、水戸駅の手前に鉄道省の車両基地があり、水戸駅に乗り入れるにはこの上に高架線を敷設する必要があった。これに必要な資金を確保できる余裕はなく、水戸駅への乗り入れは実現させることができなかった。また、石岡側も石岡からはるか手前の奥ノ谷までしか到達できなかった。そのため利便性に大きな問題を抱え、わずか6年で事実上の営業廃止へと追い込まれることとなった。 ちなみに廃止後の軌道敷の一部は陸軍省によって買い上げられている。廃止後に沿線近くに陸軍水戸南飛行場が建設されており、物資の輸送に利用しようとしたのかもしれないが、使われる事は無かったようである。 年度乗客(人)貨物量(トン)営業収入(円)営業費(円)益金(円)その他益金(円)
路線データ
路線距離:11.2 km
軌間:1,067 mm
駅数:12駅(起終点駅含む)
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:なし(全線非電化)
歴史
沿革
年表
1926年(大正15年)7月7日 水戸石岡電気鉄道の鉄道敷設免許(新治郡石岡町-水戸市上市柵町間 動力電気[3])[4]
1927年(昭和2年)
4月16日 水石電気鉄道に社名変更(届出)[5]
7月30日 会社設立[6][7]
8月1日 水戸電気鉄道と改称(30日届出)[5]
1928年(昭和3年)3月25日 柵町で起工式
1929年(昭和4年)
12月14日 本社を紺屋町に新築移転
11月10日 下水戸 - 常陸長岡間で営業開始(旅客運輸)[8]
1931年(昭和6年)10月1日 柵町 - 下水戸間が開通(旅客運輸)[9]
1933年(昭和8年)12月30日 常陸長岡 - 小鶴間が開通(旅客運輸)[10]
1934年(昭和9年)11月1日 小鶴 - 奥ノ谷間が開通(旅客運輸)[11]
1936年(昭和11年)2月 全線で営業休止(正確な休業日は不明)
1937年(昭和12年)7月6日 常陽運輸に社名変更(届出日7月3日)[12]
1938年(昭和13年)11月29日 営業廃止許可[13]
駅一覧
柵町(さくまち)- 水戸駅までの連絡には徒歩区間が500m以上存在した[14]。
紺屋町(こうやちょう)[15]
下水戸(しもみと)
蓮乗寺下
古宿(ふるじゅく)
一里塚
中吉沢
吉沢
矢頭
常陸長岡 - 茨城町長岡[16]
小鶴
奥ノ谷 - 茨城町奥谷[16]
輸送・収支実績
19295,6334,5092,7661,743
193078,1764611,58623,430▲ 11,844
193183,109838,10316,877▲ 8,774
Size:26 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
担当:undef