水戸岡鋭治
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みとおか えいじ
水戸岡 鋭治
富士山駅改名時の式典にて(2011年7月1日)
生誕 (1947-07-05) 1947年7月5日(76歳)
日本岡山県岡山市北区
職業インダストリアルデザイナー
団体ドーンデザイン研究所
肩書き九州旅客鉄道(JR九州)デザイン顧問、両備グループデザイン顧問
受賞第59回 菊池寛賞
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水戸岡 鋭治(みとおか えいじ、1947年7月5日 - )は、日本インダストリアルデザイナー(工業デザイナー)、イラストレーターである。

岡山県岡山市北区吉備津出身[1]東京都板橋区在住。ドーンデザイン研究所代表取締役。九州旅客鉄道(JR九州)デザイン顧問、両備グループデザイン顧問、おかやま夢づくり顧問。公益財団法人石橋財団理事[2]。旅の文化研究所[3]運営評議委員および同研究所が選定する「旅の文化賞」選考委員[4]
経歴

岡山県で家具店の長男として生まれる。幼い頃は窓から外を眺めるのが好きで、勉強も運動も苦手だったが、絵を描くのが得意で、周りの人に褒められるのが嬉しくて、自然にどんどん描くようになった。家具店の跡取りとなることを見越して、親も油絵や石膏デッサンなどの習い事を積極的にさせてくれたという[5]。のんびりしていて不器用で鈍臭い少年だったため、アダ名は「鈍治(ドンジ)」であった。彼はこのアダ名を現在でも大変気に入っており、後に設立した「ドーンデザイン研究所」の名前の由来になっている。

岡山県立岡山工業高校インテリア科卒[6]。高校卒業後、親の紹介で大阪のデザイン会社に就職、3年勤めた後、家業を継ぐため岡山に帰郷しようとするも、父親から、「散々お世話になったのだから、しばらくはお礼奉公をしなさい」と言われたこともあり、退職後も家具店とのダブルワークで頻繁に大阪で仕事をしていた。ある日大阪の会社の社長から勧められ、24歳にしてミラノのデザイン事務所に勤めることとなるが、4か月で退職、1年半ほど鉄道の周遊パスを利用しヨーロッパ中を放浪の後[5][7]、帰国し東京でぶらぶらしていたところ、次第に仕事が入るようになる。1972年、家業を弟に任せ、東京でドーンデザイン研究所を設立[5][6]。家具や建築のデザインを中心に行う[6]

彼が脚光を浴び始めたのは、九州旅客鉄道(JR九州)の車両デザインである。福岡市福岡地所の「ホテル海の中道」のアートディレクションを手がけ、1987年4月、同ホテルのお披露目午餐会に参加し、偶然同席した石井幸孝JR九州社長(当時)の知遇をえる。これを契機に、同社の列車・駅・広告のデザインに携わることとなる[8][6]。当時、JR九州は設立されたばかりで[注 1]国鉄の財産を大量に継承していた。最初に手がけたのは、博多駅から西戸崎駅海の中道)へ向かう香椎線用のジョイフルトレインアクアエクスプレス」で、国鉄から引き継ぎボロボロだったキハ58系気動車キハ28系気動車を大胆に改造し、1988年7月に完成した[5][8]。その後、熊本駅改装(旧駅舎)、キハ200形気動車のデザインを行った。

1992年の787系電車つばめ」は、ブルーリボン賞ブルネル賞といった鉄道関連の賞だけでなく、グッドデザイン認定や松下電工(現:パナソニック電工)のライティングコンテスト最優秀賞などを受賞、国内外から高い評価を得た[6]

1995年には奇想天外なデザインで話題となった883系電車ソニック」、2000年にはオール革張りシートにフローリング床の組合せで登場した在来線特急の集大成と言われる885系電車かもめ」、2004年には西陣織のシート、い草、さらには金箔(1000番台・2000番台)といった和のテイストを持ち込んだ九州新幹線800系電車「つばめ」を生み出し、JR九州が標榜した鉄道ルネッサンスを具現化していった。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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