みずしま ゆう
水島 裕
プロフィール
本名野田 憲司(のだ けんじ)[1][2][3]
愛称ゆうさん[4]
性別男性
出生地 日本・福岡県門司市(現在の北九州市門司区)[5]
出身地 日本・東京都杉並区[6]
生年月日 (1956-01-18) 1956年1月18日(68歳)
血液型B型[7]
職業声優、俳優、タレント、ナレーター[8]、司会者
事務所81プロデュース[9]
配偶者あり
公式サイト水島裕
水島 裕(みずしま ゆう、1956年[16]1月18日[7][17] - )は、日本の声優、俳優、タレント、ナレーター[8]、司会者[16]。81ACTOR'S STUDIOキッズクラス代表講師[18]。福岡県門司市(現在の北九州市門司区)出生[5]、東京都杉並区出身[6]。81プロデュース所属[9]。
一時期、水島 裕允(読みは同じ)[19]、安永 憲自(やすなが けんじ)名義で活動していた。 福岡県門司市(現在の北九州市門司区)にある門司鉄道病院(現在の九州鉄道記念病院)で誕生した[5]。 子供のころは兵庫県西宮市で過ごし、小学生時代に東京都杉並区で育つ[3][6][20]。 小学生のころは「アトム博士」と呼ばれていたくらい『鉄腕アトム』が好きで、お茶の水博士になろうと考えており、ロボット博士かパイロットになろうと考えていたという[11][21]。 3歳年下の妹が小学2、3年生くらいから東京放送劇団に所属しており、実家は割と放任主義だったため、劇団の遠足や課外実習などでは両親の代わりに保護者として付き添っていた[11][12][13][16][22]。妹が所属していた劇団に何度か行き、「何か面白そうだな?」と思ったわけであり[22]、学校以外にもうひとつの放課後やそういう遊び場があるということが面白そうに感じて、「自分も劇団に入りたい」と思うようになった[12][16]。しかし劇団は年令制限があり、すでに小学6年生だったこともあり入団できず、自宅から近い劇団若草の入団試験を受けて合格して中学1年生の時に役者の世界に踏み入れたという[12][13][16][22][23]。 当時は仕事をしているという感覚は全くなく、劇団に入団した理由は「芝居がしたい」ではなく、「劇団で遊びたい」からだった[12]。毎週日曜日に劇団若草で演技、演技基礎、西洋舞踊、日本舞踊、歌などを習っていたが、もうひとつ遊び場が増えたような感覚だった[24]。必死になって習い事をするような感覚ではなく、西洋舞踊はタイツを履くのが恥ずかしく、日本舞踊での着物の着方が分からず、先輩の音無美紀子が手伝ってくれたこともあったという[24]。
経歴
生い立ち