水島諸島手前に濃地諸島(左から上濃地島、太濃地島、細濃地島、イサロ濃地島)、正面奥に網代諸島(左から小柄杓島、小杓島、大杓島)右奥に水島群島(左から下水島、上水島)を臨む
.mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left}水島諸島 (岡山県)
地理
場所瀬戸内海(水島灘)
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度26分31秒 東経133度43分48秒 / 北緯34.44194度 東経133.73000度 / 34.44194; 133.73000
水島諸島(みずしましょとう)は、岡山県倉敷市沖の瀬戸内海・水島灘にある島嶼群である。備讃諸島(びさんしょとう)の一部にあたる。南に塩飽諸島、西に笠岡諸島がある。
児島(下津井)沖にあるものは児島諸島(こじましょとう)又は下津井諸島(しもついしょとう)と呼ばれることもある。 倉敷市水島・玉島・児島下津井地区の沖合、高梁川河口沖周辺の海域一帯に浮かぶ島々である。 多くが無人島で、ほとんどが水島港の港湾区域に含まれる。水島航路に近接しているため大型船舶の航行の障壁にもなっている。児島の下津井沖には有人島も存在する(ここは水島港区域外)。 かつては広義では寄島および三郎島(浅口市寄島町)も水島諸島に含まれていたが、現在は1973年(昭和48年)の干拓により陸続きとなっているため、含まれることは少ない。 水島諸島周辺の海域は有力な漁場として、古来より漁業が盛んに行われている。 上水島
概要
所在地日本(岡山県)
所在海域瀬戸内海
所属諸島水島諸島(水島群島)
座標北緯34度27分48秒 東経133度42分44秒 / 北緯34.46333度 東経133.71222度 / 34.46333; 133.71222
面積0.36[1] km²
海岸線長2.25 km
最高標高51.1 m
プロジェクト 地形
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下水島 高梁川河口南沖合にある無人島群である。上水島・下水島からなり、両島を総称して、あるいは片方(特に上水島)を指して「水島」と呼ぶこともある。JFEスチール西日本製鉄所倉敷地区(旧:川崎製鉄水島製鉄所)の南約1.6kmに所在する[1]。西に下水島、東に上水島が東西に並ぶように浮かんでいる。児島郷内地区の五流尊瀧院に伝わる『熊野権現縁起』にも登場し、古くから知られている島嶼である。水の豊富な島として知られており、古くから船がよく立ち寄っていたという[1]。現在の住所表記(大字)は、上水島が下津井
所在地日本(岡山県)
所在海域瀬戸内海
所属諸島水島諸島(水島群島)
座標北緯34度27分44秒 東経133度41分27秒 / 北緯34.46222度 東経133.69083度 / 34.46222; 133.69083
面積0.09[1] km²
最高標高60 m
プロジェクト 地形
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島嶼
高梁川河口沖
水島群島
上水島は、周囲約2.25km、海抜51.2m。現在は無人島であるが、昔は住人がいた。児島通生の般若院には文明4年(1472年)6月に大干魃が発生、この地で17日間の雨乞いを行ったとの記録がある。明治時代に国有地となった後、児島郡菰池村(現在の倉敷市菰池)の小橋家に払い下げられた[6]。更に1899年(明治32年)に神戸の鈴木商店に譲渡され、1903年(明治36年)に鈴木精錬所が建設された[6]。鈴木精錬所では、主に銅の精錬が行われていた。1902年(明治35年)には、尋常小学校の分教場[注釈 3]が設置されたものの、6年後の1908年(明治41年)に廃止された[7]。1915年(大正4年)には63戸、286人の従業員が居住していた[6]。それに伴い島内は盛況となったが、1916年(大正5年)にピークを迎えた銅価格は、第一次世界大戦が終息に向かうにつれて暴落[8]。1919年(大正8年)には、ピーク時の半値にまで落ちた[8]。このため精錬所は徐々に衰退し、第二次世界大戦前には完全に閉鎖された[1][6]。これに合わせる様に島民も減少し、精錬所閉鎖後は僅かな人員が居住するのみとなった[6]。第二次世界大戦後に社宅などの撤去が行われ、残っていた人員も島を離れた[6]。それ以降、上水島は無人島のままである。
下水島は、上水島の西方約2kmにあり、上水島の約4分の1の面積である[1]。海抜約60m。周囲は好漁場として知られており、古くから漁業権を巡って争いがあったとされる[1]。20世紀前半においては、東側の6割を浅口郡玉島町(後に玉島市を経て倉敷市に合併)、西側を浅口郡黒崎村(後に黒崎町を経て玉島市に合併。現在は倉敷市の一部)が所有しており、島内に市町村境があった[1]。
水島群島は、水島灘や水島臨海工業地帯などの名称の由来、ひいては現在の倉敷市水島地区の地名の由来である[注釈 4][1]。 高梁川河口南沖合、下水島・上水島のさらに南方の海上にある小さな無人島群・岩礁群。北側から大杓島(おおしゃくじま、茶瓶島 ちゃびんじま とも)、小杓島(こしゃくじま)、さらに南端に大柄杓島(おおびしゃくじま)・小柄杓島(こびしゃくじま)が東西に並んでいる。大杓島、小杓島と名前が付いているが、小杓島の方が幾分面積が広く、最高標高も高い[注釈 5]。
網代諸島