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みずしま つとむ
水島 努
生年月日 (1965-12-06) 1965年12月6日(58歳)
出生地 日本・北海道千歳市
出身地 日本・長野県東筑摩郡波田町(現・松本市)
国籍 日本
職業アニメーション監督
音響監督
ジャンルテレビアニメ
アニメーション映画
活動期間1986年 -
公式サイト月夜の上機嫌
主な作品
テレビアニメ
『ガールズ&パンツァー』
『SHIROBAKO』
『侵略!イカ娘』
『監獄学園』
『よんでますよ、アザゼルさん。』
『おおきく振りかぶって』
『xxxHOLiC』
『ジャングルはいつもハレのちグゥ』劇場アニメ
『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ 栄光のヤキニクロード』
『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ!夕陽のカスカベボーイズ』
水島 努(みずしま つとむ、1965年(昭和40年)12月6日[1] - )は、日本の男性アニメーション監督、音響監督。北海道千歳市生まれ、長野県東筑摩郡波田町(現・松本市)出身[2]。 長野県松本美須々ヶ丘高等学校卒業。高校時代には自主映画を制作していた[3]。高校卒業時は音楽教師志望だったが、浪人し続けたため進学を断念、1986年にシンエイ動画に就職する。当初の志望から後に作詞・作曲を手がけるようになる。1986年の『ドラえもん』「けしきカッター」の制作進行でアニメデビュー。以後、『エスパー魔美』『チンプイ』などで制作進行を務めた後、1991年に『美味しんぼ』の第120話「ジャンボ茶碗蒸し」で初演出を担当。『美味しんぼ』で勝手なことをやったことから(本人曰く)企業内失業の状態に陥る。制作進行に降格して『ドラミちゃん ハロー恐竜キッズ!!』を担当したのち、1994年の映画『クレヨンしんちゃん ブリブリ王国の秘宝』にて監督である本郷みつるが周囲の反対を押し切って演出助手として起用。その流れで同年から『クレヨンしんちゃん』のテレビシリーズに参加した[4]。1998年12月25日に放送された「石像の恩返しだゾ」ではアニメで初めて脚本を手がけ、同時に絵コンテと演出も兼任している。 1999年、短編映画『クレしんパラダイス!メイド・イン・埼玉』で監督デビューし[5]、2001年に『ジャングルはいつもハレのちグゥ』でテレビ初監督を務める。水鳥満月名義で池端隆史の作品の手伝いも行っている。2004年8月20日にシンエイ動画を退社し、その後はフリーランスとして、J.C.STAFF、P.A.WORKS、Production I.G等の作品で監督を務めている。 2013年12月、第18回アニメーション神戸賞・個人賞を受賞する。初の完全オリジナル作品『ガールズ&パンツァー』が「アニメで町おこし」の成功例として各種メディアで取り上げられたことと、ギャグアニメからシリアスものや青春ドラマまで幅広い作品を手掛け、自ら作詞や作曲まで手掛ける多才さが、贈賞理由に挙げられている[6]。 『オトナアニメ』スーパーバイザーの多根清史によると、水島は2015年において日本で最も忙しかったアニメ監督の1人であり、特に2010年以降は幅広いジャンルの原作ものアニメを成功させた上に『ガールズ&パンツァー』と『SHIROBAKO』のオリジナル2本を成功させたオールラウンダーであるという。一方で器用すぎて作家性が見えにくいとも言えるが、誰にも真似できないレベルまで突き抜けた、お客さんを見据えたサービス精神に水島の作家性があるのだという[7]。 この節に雑多な内容が羅列されています。事項を箇条書きで列挙しただけの節は、本文として組み入れるか、または整理・除去する必要があります。(2011年12月)
来歴
人物
同じアニメーション監督の水島精二としばしば混同される。同監督とは同期で、両名とも「実は兄弟である」といった冗談を飛ばしたことがある。また、Twitterでは精二を「兄貴」と呼んでおり、精二からは「兄者」と呼ばれている。
映画監督の山崎貴は、高校時代に自主映画を撮っていたころの1学年上の先輩。1999年に水島が『クレしんパラダイス!メイド・イン・埼玉』を監督する際に、山崎に『タイタニック』のパロディでタイタニック号のCGを作るように頼んだことがあったが、発注額が6万円で交渉が決裂して実現しなかった。