水口哲也
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みずぐち てつや
水口 哲也

生誕 (1965-05-22) 1965年5月22日(59歳)
日本北海道小樽市
出身校北海道札幌西高等学校
日本大学藝術学部文芸学科メディア美学専攻
職業クリエイター
プロデューサー
実業家
大学教員
肩書きEnhance(米国法人エンハンス)代表
Synesthesia Lab(シナスタジアラボ)主宰
慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科(Keio Media Design)特任教授
Resonair (レゾネア)株式会社代表
EDGEof(エッジ・オブ)共同設立者兼CCO
株式会社アカツキ社外取締役
公式サイト ⇒水口哲也の仕事とプロフィール
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水口 哲也(みずぐち てつや、1965年5月22日 - ) は、クリエイタープロデューサー実業家大学教員。Enhance(米国法人エンハンス)代表、Synesthesia Lab(シナスタジアラボ)主宰、慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科(Keio Media Design)特任教授、Resonair (レゾネア)株式会社代表、EDGEof(エッジ・オブ)共同設立者兼CCO、株式会社アカツキ社外取締役[1]北海道小樽市出身。
略歴.mw-parser-output .ambox{border:1px solid #a2a9b1;border-left:10px solid #36c;background-color:#fbfbfb;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .ambox+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+link+.ambox{margin-top:-1px}html body.mediawiki .mw-parser-output .ambox.mbox-small-left{margin:4px 1em 4px 0;overflow:hidden;width:238px;border-collapse:collapse;font-size:88%;line-height:1.25em}.mw-parser-output .ambox-speedy{border-left:10px solid #b32424;background-color:#fee7e6}.mw-parser-output .ambox-delete{border-left:10px solid #b32424}.mw-parser-output .ambox-content{border-left:10px solid #f28500}.mw-parser-output .ambox-style{border-left:10px solid #fc3}.mw-parser-output .ambox-move{border-left:10px solid #9932cc}.mw-parser-output .ambox-protection{border-left:10px solid #a2a9b1}.mw-parser-output .ambox .mbox-text{border:none;padding:0.25em 0.5em;width:100%;font-size:90%}.mw-parser-output .ambox .mbox-image{border:none;padding:2px 0 2px 0.5em;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-imageright{border:none;padding:2px 0.5em 2px 0;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-empty-cell{border:none;padding:0;width:1px}.mw-parser-output .ambox .mbox-image-div{width:52px}html.client-js body.skin-minerva .mw-parser-output .mbox-text-span{margin-left:23px!important}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .ambox{margin:0 10%}}

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出典検索?: "水口哲也" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2022年12月)

北海道札幌西高等学校卒業後、日本大学藝術学部文芸学科に進学、メディア美学専攻。卒業後セガへ入社した[2]

同社情感デザイン研究室室長、ユナイテッド・ゲーム・アーティスツ(UGA)代表、キューエンタテインメント取締役などを歴任。

2012年、Resonair (レゾネア)株式会社を設立。2014年、アメリカ・カリフォルニア州にコンテンツ・パブリッシング・カンパニー Enhance(エンハンス)社を設立。2018年、共感覚的な体験を研究、実験するためのアライアンス型ラボ、シナスタジアラボを設立。同年、東京・渋谷にEDGEof(エッジオブ)を共同設立。

テクノロジー共感覚的な体験を融合させる作風を持ち味としている。代表作として、映像と音楽を融合させたゲーム「Rez」(2001)、音と光のパズル「ルミネス」(2004)、指揮者のように操作しながら共感覚体験を可能にした「Child of Eden」(2010)、RezのVR拡張版である「Rez Infinite」(2016)、テトリスのVR拡張版「Tetris Effect」(2018)や、音楽と光と共に、触覚を全身に拡張するウェアラブルスーツ「シナスタジア・スーツ」(2016)、共感覚体験装置「シナスタジアX1 ? 2.44」(2019)など。

文化庁メディア芸術祭エンターテインメント部門審査主査(2005-2007)、英国D&AD Award審査委員(2008)、日本賞審査員(2009)、芸術選奨選考審査員(2010)、Wired Creative hack Award審査委員(2013)、Media Ambition Tokyo理事(2019)、アカツキ取締役(2020)などを歴任。
経歴

水口が16歳の時の1981年にMTVの放送が始まり、自分でも音楽と映像を融合させた表現をしたいと思うようになった[3]
セガ時代

大学時代からVRの研究をしていた一方、当時のゲームは2Dが主流だったためゲームにそこまで興味はなかった[2]セガの体感ゲーム用筐体「R-360」との出会いで考えが変わり、卒業後の1990年にセガへ入社した[2]

入社後、水口は「ジョイポリス」の前身となるアミューズメントパークのアトラクション設置について調査したり、鈴木久司とともに日本国外へ調査に行くこともあった[2]。その後、水口は鈴木の命でアミューズメントパーク用アトラクションの映像制作を任される[2]。この当時の様子について水口は2Dから3Dへの移行期と表現し、3Dの専門家がいないため自分たちで解決する必要があったことが良かったのではないかと振り返っており、CGクリエイターのマイケル・アリアスとも会ったという[2]

また、水口は映像制作に必要な高価な機材を調達できたものの、機材トラブルに悩んだとも話している[2]。同時期、セガでは鈴木裕率いるチームが低解像度ながらもリアルタイムレンダリング表示が秒間30フレームのF1レースゲーム『バーチャレーシング』の開発を進めており、水口も裕に相談していた[2]

そして1993年、水口もラリーレースを題材とした『セガラリーチャンピオンシップ』の開発に乗り出した[2]。セガ社内では水口がこの作品を手掛けることに反対する声もあったが、成功を収め、ゲームクリエイターとしての第一歩となった[2]。また、水口がスペインを訪れた際、祖父・父・孫が役割分担をしながら同作を楽しむ様子を見て、ゲーム作りの意義を感じたという[2]。その一方、レースゲームを作り続ける中で、水口はリアルさを突き詰めるばかりになってしまうと感じるようになった[2]。自分が本当にやりたいことを考える中で音楽に行き当たり、『スペースチャンネル5』の開発へとつながった[2]。湯田高志らによる初期案ではクールで芸術的な内容だったが、これではゲームとして遊べないと考えた水口はコミカルな要素を取り入れた[2]。これと並行して『Rez』の企画も進められていた[2]
キューエンターテインメント時代

セガを去った水口らはキューエンタテインメントを立ち上げた[4]

PlayStation Portableの発表を聞いた水口は、誰も遊んだことがなくて、かつ「ウォークマンのように音楽を聴きつつ,誰でも簡単に何かをいじりながら楽しめるゲーム」という命題から、効果音を音楽化することを考え、『ルミネス -音と光の電飾パズル-』が生まれた[4]

その後、キューエンターテインメントはニンテンドーDS向けパズルゲーム『メテオス』でも成功をおさめ、社員数も100人近くに増えた[5]。その矢先の2008年リーマン・ショックの煽りでアメリカの企業と契約していたプロジェクトが立ち消えとなる[5]。水口は2017年の講演の中でお金のストレスとクリエイティブで生ずるストレスは別物であるとしたうえで、その時からクリエイティブとビジネスの両立を考えるようになったという[5]


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