みずはら れいこ
水原 玲子
本名吉野 美智子 (よしの みちこ)
生年月日 (1911-03-10) 1911年3月10日
没年月日 (1935-10-12) 1935年10月12日(24歳没)
出生地 日本、広島県広島市下柳町(現在の同市中区銀山町)
死没地 日本、京都市右京区太秦桂ヶ原町
職業女優
ジャンル劇映画(現代劇、サイレント映画)
活動期間1931年 - 1935年
テンプレートを表示
水原 玲子(みずはら れいこ、1911年3月10日 - 1935年10月12日)は、日本の女優である[1][2][3][4][5]。本名、吉野 美智子(よしの みちこ)[1][2]。 1911年(明治44年)3月10日、広島県広島市下柳町(現在の同市中区銀山町)に生まれる[1][2]。 旧制・広島県立広島第一高等女学校(現在の広島県立広島皆実高等学校)に進学するが、同校を中途退学して大阪に移り、道頓堀の「カフェー赤玉
人物・来歴
同年8月28日、同社は新興キネマに改組され、水原は新興キネマに継続入社した[1][2][3][4]。藤山一郎の『丘を越えて』を主題歌としたサイレント映画『姉』で主演し、同作は、同年12月24日に公開されている[1][2][3][4]。1934年(昭和9年)、津村博との恋愛問題で退社を余儀なくされる[1][2]。
退社後は映画界を離れ、劇団に入り地方巡業の果てに過労のため自宅に戻って療養していたが、1935年(昭和10年)10月12日、京都市右京区太秦桂ヶ原町の自宅で病気により死去した[1][2]。満24歳没。 クレジットはすべて「出演」である[3][4]。公開日の右側には役名[3][4]、および東京国立近代美術館フィルムセンター(NFC)、マツダ映画社所蔵等の上映用プリントの現存状況についても記す[5][6]。同センター等に所蔵されていないものは、とくに1940年代以前の作品についてはほぼ現存しないフィルムである。資料によってタイトルの異なるものは併記した。 すべて製作・配給は「帝国キネマ演芸」、すべてサイレント映画である[3][4]。
フィルモグラフィ
帝国キネマ演芸