水上善雄
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水上 善雄橘学苑高等学校硬式野球部 総監督
基本情報
国籍
日本
出身地神奈川県横須賀市
生年月日 (1957-08-09) 1957年8月9日(66歳)
身長
体重184 cm
71 kg
選手情報
投球・打席右投右打
ポジション遊撃手三塁手
プロ入り1975年 ドラフト3位
初出場1976年5月9日
最終出場1992年4月24日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴


桐蔭学園高等学校

ロッテ・オリオンズ (1976 - 1989)

広島東洋カープ (1990)

福岡ダイエーホークス (1991 - 1992)

監督・コーチ歴


北海道日本ハムファイターズ (2007 - 2009)

福岡ソフトバンクホークス (2014 - 2018)

橘学苑高等学校

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水上 善雄(みずかみ よしお、1957年8月9日 - )は、神奈川県横須賀市出身[注 1]の元プロ野球選手内野手)・コーチ監督。現在は高校野球指導者に転じ、2019年度より橘学苑高等学校硬式野球部監督(2022年度以降は総監督)。
来歴・人物
プロ入り前

横須賀市立不入斗中学校卒業後、桐蔭学園高校に進学[11]。中学生時代も野球をやっていた(ポジションは遊撃手投手[11])が、最初は高校でも野球をやろうとは考えておらず、普通の高校生活を送ってサラリーマンになろうと考えていた(みたいだったと本人の弁[12])が、結局高校でも野球部で活動。1975年夏の甲子園県予選で準々決勝に進むが東海大相模に惜敗(原辰徳にサヨナラ打を打たれた。本人はこの時「外角のくそボールを持って行かれて、この時が投手としての自分の最後だった」と話している[12][13][注 2])。高校では同期に長内孝が、2学年後輩には渋井敬一がいた。
プロ野球選手時代

高校卒業後は「大学か社会人で野球がやれたら」程度のように考えていたが[12]1975年度プロ野球ドラフト会議ロッテ・オリオンズから3位指名を受け入団(本人はこれについて「オマケみたいなものでプロになれた感じ」と話していたことがある[12])。

1976年代走中心だったが[11]河野旭輝内野守備・走塁コーチの指導により2・3年目と守備固めの出場機会を増やした[11]

1979年に監督に就任した山内一弘から「お前の守備なら打率3割を打っているのと同じ」と遊撃手のレギュラーに抜擢された[14]。自身はこの頃の守備を「派手だが雑、からのスタートでした」と振り返る程だったが、雑な部分はコーチの河野から徹底的に指導され、徐々に丁寧な捕球ができるようになったという[14]

1980年には33犠打パシフィック・リーグ記録(当時)を達成[15]

1983年は監督の山本一義から「打率を上げるために打撃フォームを変えてくれ」と説得され、一本足打法からすり足打法に変更するとキャリア初の打率3割を記録し、打撃10傑にも食い込んだ[14]

1986年は80試合、打率.198に終わり、同年オフ日本ハムにトレードで移籍する話も出たが、三遊間を組んでいた有藤道世が監督に就任。


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