気象庁震度階級
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「震度1」から「震度6強」はこの項目へ転送されています。日本国外の震度階級におけるこれらの震度については「震度#震度階級の種類」をご覧ください。
.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}この項目ではを扱っています。閲覧環境によっては、色が適切に表示されていない場合があります。2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震東日本大震災)の各地域における最大震度を示した震度分布図。宮城県栗原市では、当時、計測の最大であった計測震度6.67の震度7を観測した。1996年10月1日以降使用されている震度と揺れの状況

気象庁震度階級(きしょうちょうしんどかいきゅう)は、日本で使用されている独自の震度階級地震の揺れの大きさを階級制で表す指標である。単に震度ともいう。主に気象庁が中心となって定めたもので、2019年時点で、約4,400地点で観測が行われている[1][2]。過去に基準や段階が変更されたこともあるが、現在では、ほぼ揺れを感じない震度0から震度1・2・3・4・5弱・5強・6弱・6強、そして最大の7までの10段階が設定されている[3]。地震の規模を示すマグニチュードとは異なる。
歴史
震度階級の創設と改訂

日本で地震計による地震観測が始まったのは1872年(明治5年)であるが、その8年後の1884年(明治13年)、当時の内務省地理局第四部 験震課長を務めていた関谷清景が全18条からなる『地震報告心得』をまとめ、全国約600か所の郡役所から地震の情報収集を開始した。これが日本最初の統一様式での震度階級である。当時は「微震」「弱震」「強震」「烈震」の4段階で、例えば微震なら「僅ニ地震アルヲ覚ヘシ者」というように短い解説文があった[4][5]

その後、1898年(明治31年)に微震の前に「微震(感覚ナシ)」、微震と弱震の間に「弱震(震度弱キ方)」、弱震と強震の間に「強震(震度弱キ方)」が追加されるとともに、0から6までの数字が振られ7段階となるが、このときは解説文が省かれた。1908年(明治41年)には各階級に解説文が復活する。1936年(昭和11年)には現在の地震観測指針にあたる内規「地震観測法」が定められ、「微震(感覚ナシ)」を「無感」、「弱震(震度弱キ方)」を「軽震」、「強震(震度弱キ方)」を「中震」に改称する[6]。この頃観測点はもっと増えており、気象庁の資料では1904年(明治37年)時点で気象官署[7]と民間委託(区内観測所等)の観測点併せて1,437か所あり、その後昭和30年代(1955 - 1964年ごろ)までこの数が維持されていたという[5]

1949年(昭和24年)1月の「地震観測法」改正により震度7が設けられ、震度0から 7 の8段階とされた[8]。これは、家屋倒壊率90%を超えた地区があった1948年(昭和23年)6月28日の福井地震の被害を、震度6では適切に表現できないのでは、という声が上がったからだとされている。また、震度7の判定は震度6までとは異なり、気象庁の機動観測班が後日行う実地調査に基づく判定に限られ、具体的には「家屋倒壊率30%以上」などの基準が設けられていた。ただし、震度7が制定された詳しい経緯や家屋倒壊率30%以上の根拠は明らかになっていない[9]。なお、この改正時さらに、それぞれの震度に「無感」「微震」「軽震」「弱震」「中震」「強震」「烈震」「激震」の名称が与えられた(軽微・強中弱・激烈の表現から採られたという)[8]。また、震度を津波予報の判断材料とすることが定められ、素早い判定のために震度4と6の体感の様子が説明文に追加された。後の1978年(昭和53年)にはすべての階級に体感が追加されている[10]
体感から機械計測へ

この頃の震度の判定は、観測員(気象台の職員など)が、自身の体感、建物などの被害状況などを、指針にある階級表に当てはめて震度を決定していた。指針があるといっても、観測員の主観に頼るため客観的ではなかった。平成初期には、各気象台から管区気象台が震度情報を収集して規模などとともに発表するまでに、10分程度かそれ以上かかっていた[11]

さらにその後、1,000か所以上あった震度観測点は、1958年(昭和33年)から1969年(昭和44年)にかけて行われた委託観測所の整理・廃止により大幅に減少し、150か所余りの気象官署[7]のみとなった[11]

これに対して、震度観測点の不足、観測員の主観による精度不足、震度5以上の被害のばらつきなどの問題点、震度発表の迅速化などの課題が浮上したことで、無人観測可能な計器による震度観測が検討されるようになり、1985年(昭和60年)には気象庁内に震度の計測化を検討する委員会が発足した。1988年(昭和63年)には同委員会の報告に基づいて震度計による計器観測を試験的に開始、1994年(平成6年)3月末までに観測点すべてに震度計を設置した。この間、1993年(平成5年)には300か所、1996年(平成8年)には600か所と観測点を増やした[11]

その間にも、1994年(平成6年)12月28日の三陸はるか沖地震、1995年(平成7年)1月17日の兵庫県南部地震阪神・淡路大震災)などの大地震が相次ぎ、震度5や6の地域で被害の程度の幅が広かったことや、震度7の判定に時間がかかった(気象庁地震課機動観測班の実地調査が必要だった)ことが課題として浮き彫りとなった。これにより、より細かな被害の判定を迅速に行うことが求められた[9]

1996年(平成8年)4月1日の震度階級改定により、体感による観測を全廃して震度計による観測に完全移行するとともに、震度5と6にそれぞれ「弱」と「強」が設けられて10段階となった。これに伴い、「微震」「軽震」などの名称は廃止され、従来の説明文に相当するものとして「関連解説表」が新たに作成された。また、例外的に被害率で判定することとされていた震度7も震度計による観測に統一され、計測震度6.5以上を10段階中の震度7とした[12]。さらに気象庁約600か所の震度観測点に加えて、防災科学技術研究所約800か所、地方公共団体約2800か所のデータも気象庁の情報発表に活用することとし、気象庁発表の震度観測点は合計約4200か所と従来より大幅に増加することとなった[13]
体感震度と計測震度の関係

1968年十勝沖地震から1995年兵庫県南部地震までの体感震度(1990年代以降は試行的な計測震度を含む)による旧気象庁震度階と、これらの地震の強震計によるデータから現在の計測震度計算方法に基づいて計算された計測震度とを比較検討した研究がある。

これによると、震度3以上では旧気象庁震度階と現在の計測震度との間に概ね良好な相関関係が認められ、統計的な連続性をほぼ維持してることが判った。しかし、震度2以下では相関が悪く、例えば旧気象庁震度階で震度0とされた観測点の強震記録をもとに計測震度を計算すると0 - 2.7(震度0 - 震度3)までバラつきがあり、特に計測震度1.0から1.8(震度1 - 震度2)付近に集中している[14]。すなわち、計測震度計によって震度1や2が観測されても体感震度では「無感」となることも大いにあり得る。
「関連解説表」と長周期地震動の検討

その後、岩手・宮城内陸地震岩手県沿岸北部地震などで実際の被害の様子とその震度で起こるとされていた被害との乖離が目立ち、2008年(平成20年)夏には震度階級の解説表を見直す検討に入ったことが報道された[15]。同年冬から2009年(平成21年)春にかけて検討会が開かれ、3月31日から改定した「気象庁震度階級関連解説表」の運用が開始された。主な変更点は、耐震工事の普及に合わせて建物の耐震度に応じた被害を記したほか、建物・地形への被害をそれぞれ別記し、特に建物は木造・鉄筋コンクリートを分け、インフラや大規模構造物への影響を注記したことなどが挙げられる。震度の算出式自体は変更されていない[16][17]

長周期地震動の影響を受ける高層建築物などでの揺れは特に計測震度との解離が大きく、2003年(平成15年)の十勝沖地震では石油タンクのスロッシングによる火災被害が発生したほか、2011年(平成23年)の東北地方太平洋沖地震東日本大震災)では震源域から離れた大都市でも高層ビルでの被害が顕著となった。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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