「フィーリング」はこの項目へ転送されています。楽曲については「愛のフィーリング」を、Mrs. GREEN APPLEの楽曲については「ANTENNA (Mrs. GREEN APPLEのアルバム)」をご覧ください。
気持ち(きもち)は、物事に接した際それに対して感じた心の状態や心のありかた[1]。からだの状態からくる快適・不快な感じを指す場合にも使われる。歴史的には「心持(こころもち)」という言葉の方が古く、江戸時代中期はこちらが主に使用されていたが、徐々に心持の使用頻度が少なくなり、昭和以降は「気持ち」が圧倒的優勢となった[1]。
心理学ではこの用語が感情と密接に関連しており、感情にかかる意識上の主観的経験を指す用語である。気持ちを測る神経生理学上の手法は多くあるものの、それが一様にかつ個人差を越えて有効だとは認められていない。これはまた、気持ちが個人的または主観的な意識の状態[2] や自我の状態としても解釈されることを示唆している[3]。気持ちは、我々の感覚器官に由来する刺激が処理されて生れたものである。その感覚器は我々を取巻く世の光景だけでなく、我々自身の体に起きている事象をも伝えてくれる。気持ちは、外的な事実だけでなく我々自身の価値判断が表れたものでもある[4]。
言葉の微細な波紋、"少しばかり"の優しさ、 "僅かに"感じる、その巧みなニュアンス。 神経科学者のアントニオ・ダマシオは気持ちと感情を次のように区別している。「感情」とは心象(mental images)とそれに伴う身体的変化を指すのに対し、「気持ち」とは身体的変化の知覚を指している。言い換えるなら、感情には主観的要素のほか第三者の目に見える要素(例えば表情・仕草など)が含まれるが、気持ちは主観的かつ私的なものである[5][6] 物事に接した際の感情的な反応が腸の働きに反映されることがあり、これを英語圏ではgut feeling(腸の感覚)[注釈 1]やgut reaction(腸の反応)などと呼ぶ。不安な気持ちなどで具合が悪くなったり、気持ちが安らぐと具合が良くなったりもする。例えば、緊張は「胃がよじれる」ような感覚をもたらすことがある[8]。脳の働きが腸に影響を及ぼすように、腸の状態もまた脳に影響を及ぼすことが知られており、これを脳腸相関という[9]。これらの思想は長年受け継がれてきたもので、19世紀の西洋医師の多くが精神疾患の起源を腸から派生するものだと考えていた[10] 様々な気持ちを生み出す心は体のどこにあるのか、という命題は古代より論じられている。好きな人といれば胸が高鳴ったり、悲しいことがあると胸が締め付けられるような感覚を覚えるため、心は心臓付近にあると答える人も多い(そもそも心臓は「心を司る臓器」が名称の由来である)[11]。古代ギリシアではアリストテレスがこの心臓説を唱え、中世に至るまで人々に影響を与えた[12]。ただしその後は心臓よりも脳室説が優勢となり、「心」が働くには脳の活動が不可欠である、と現代では考えられている[13]。 他人の感情表現や気持ちを理解することが、自分達の応対方法を決めることになる。個人の状況対応方法は心情則 (feeling rules 心理学教授のティモシー・D・ウィルソン
感情との違い
内臓との関係
腸「自律神経系」および「脳腸相関」も参照
心臓「心身問題」も参照
知覚との関連
人は安心感などを得るために(自分の関わる)事柄について詳細を全て知りたいと考えるが、不確実性を感じるとそこに謎めいた感覚があるためより楽しい事柄につながる場合もあることをウィルソンは発見した[注釈 3]。実際、分からないという気持ちは何が待っているのかを常に考えたり感じるように人々を導くことができる[14]。
気持ちに関する考察『繊細な女(Sensitiva)』ミゲル・ブレイによる1910年頃の彫刻