民間放送
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民間放送(みんかんほうそう、: private broadcasting)は、民間資本によって設立された放送事業者によって行われる放送[1]。また、その放送を運営する事業体。民放(みんぽう)と略称される。国営放送公共放送の対義語である。

主に営利企業により放送されるため、商業放送(しょうぎょうほうそう、: commercial broadcasting)という呼称も用いられるが、この呼称は私企業による放送に対してのみ使われ、非営利法人が行う放送(例・エフエム東京の前身であるFM東海)は該当しない。
歴史
英国の企業による放送開始

企業による組織的なラジオ放送の運営は、英国郵政庁GPOの許可を受け、1920年(大正9年)1月15日よりマルコーニ無線電信会社がチェルムスフォードから長波の6KWではじめた試験放送が最初である。しかしこれはラジオ放送の試験を目的とする許可だった。同年2月23日から15KWに増力すると共に、1日2回の定期放送が行われた[2]。1920年3月6日以降は不定期な試験放送に戻ったが、中でも同年6月15日に放送されたオペラ歌手ネリー・メルバ夫人のライブ音楽番組は、欧州大陸の聴取者に向けて三箇国語(英語、フランス語、イタリア語)でアナウンスされ注目を浴びた[3]。アメリカのRadio News誌が「the first world concert」と伝えているとおり、これが国際放送の嚆矢である[4]。このチェルムスフォードからの試験放送は欧州大陸だけでなく、同年8月2日には大西洋を超えてカナダで受信され評判となった[5]。しかし英国空軍の無線システムに妨害を与えることが分かり、この年の秋には中止された。

1922年(大正11年)春、マルコーニ科学機器会社にライトル2MTおよびロンドン2LO、メトロポリタン・ヴィッカーズ電気会社にマンチェスター2ZYの免許が与えられたが、同年10月18日に英国郵政庁GPOの音頭取りで設立されたイギリス放送会社(1927年に公共放送化され英国放送協会)に移管された。
米国の企業による放送開始

米国では民間放送より国営放送が先行し、1920年(大正9年)1月17日ワシントンD.C.アナスコティアにある「海軍支援施設」から、海軍省が娯楽音楽放送(コールサインNOF)をはじめた[6][7]。これに少し遅れて、ペンシルベニア州ピッツバーグウェスティングハウス電気製造会社の無線技術者フランク・コンラッドが実験局8XK(中波1200kHz, 100W)で放送実験していたものを、同社のデヴィス副社長が拡張・発展させ、1920年11月2日より本放送を開始した。そのコールサインはKDKAで、これが世界初の民間放送のラジオ局である[8] [注釈 1]

ウェスティングハウス電気製造会社のKDKAはスポーツ中継 [注釈 2]、日曜礼拝中継 [注釈 3]、アーリントン海軍局NAAの夜10時の時報を中継する「時報サービス」 [注釈 4]、生バンド演奏番組 [注釈 5] などを次々と開発し、さらには週刊番組ガイド誌"Radio Broadcasting News" を出版。その創刊号は1921年(大正10年)12月末の発売で、1922年(大正11年)第一週(1月1?7日)の番組の「聴きどころ」を紹介した。また系列局の開設でサービスエリアを拡大すると共に、廉価版ラジオ受信機を開発し、商品ラインナップに加えるなど、ラジオ放送の浸透・定着にKDKAは大きく貢献した。その結果、1922年からライバルとなる民間放送会社が爆発的に増えて、深刻な周波数不足が起きた。
日本の企業による放送開始

日本では1924年(大正13年)に大阪朝日新聞昭和天皇御成婚奉祝式典の中継、大阪毎日新聞では第15回衆議院議員総選挙開票中継など民間企業によるラジオ放送が実験的に行われていた。まもなくして逓信省が中心となり放送の免許制が整えられ、新聞社や通信会社との調整の上、1925年(大正14年)に社団法人東京放送局・大阪放送局・名古屋放送局(のちの日本放送協会NHK放送センターNHK大阪放送局NHK名古屋放送局)が設立されると新たな民間放送の設置が制限された。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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