民社協会
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民社協会会長の川合孝典
略称川端グループ→
高木グループ→
小林グループ→
旧民社党系グループ
前身民社党
設立1994年
設立者米沢隆
種類

政治団体

国民民主党派閥

目的民社党の精神及び理念を継承。
本部東京都港区西新橋2丁目11-14
セレーノ西新橋3F[1] 
所在地.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度40分0.2秒 東経139度45分6.7秒 / 北緯35.666722度 東経139.751861度 / 35.666722; 139.751861座標: 北緯35度40分0.2秒 東経139度45分6.7秒 / 北緯35.666722度 東経139.751861度 / 35.666722; 139.751861
会員数新・国民民主党所属国会議員・地方議員など。
会長川合孝典
機関紙月刊民社
提携

旧同盟労組

KAKKIN

富士政治大学校

日本労働会館

友愛協会

関連組織

民社党

新進党

新党友愛

民主党

民進党

希望の党

旧・国民民主党

新・国民民主党

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民社協会(みんしゃきょうかい)は、日本政治団体旧民社党系の国会議員・地方議員(500人弱)によって構成される。国会では、国民民主党政策グループとなっている。

民社党消滅後に政界入りした議員も加入している。現在は川合孝典が会長を務めており、マスコミなどでは旧民社党系グループの名称で紹介されることもある。民社主義反共主義を掲げ、旧同盟労組の組織力を背景に結束力が強い。

その一方で、所属議員の落選、高齢化、自由民主党への移籍などで勢力は退潮傾向にある。また、地方議員では国民民主党に属さず無所属または自民党会派で活動している例もある(例えば、大阪府議会大阪市議会では民社系議員は現・国民民主党会派ではなく、自民党系会派に所属している[2][3][4])。
沿革
新進党時代

1994年12月に民社党が解党して新進党の結党に参加した際に、旧民社党所属の国会議員・地方議員によって結成された。このような沿革から、連合内の旧同盟労組自動車総連電力総連UIゼンセン同盟など)を支持基盤としている。

1997年12月の新進党解党時点では旧民社党系国会議員が33名いた。彼らの進路は、以下に示すように、新党友愛に23名、小沢自由党に9名、無所属に1名と分かれた。

新党友愛(23名)
伊藤英成(衆議院)川端達夫(衆議院)鍵田節哉(衆議院)神田厚(衆議院)今田保典(衆議院)
嶋聡(衆議院)島津尚純(衆議院)城島正光(衆議院)高木義明(衆議院)田中慶秋(衆議院)
玉置一弥(衆議院)中野寛成(衆議院)福岡宗也(衆議院)吉田治(衆議院)足立良平(参議院)
石田美栄(参議院)今泉昭(参議院)勝木健司(参議院)寺崎昭久(参議院)直嶋正行(参議院)
長谷川清(参議院)平田健二(参議院)吉田之久(参議院)
小沢自由党(9名)
青山丘(衆議院)安倍基雄(衆議院)塩田晋(衆議院)中井洽(衆議院)中村鋭一(衆議院)
西村眞悟(衆議院)鰐淵俊之(衆議院)都築譲(参議院)西村章三(衆議院)
無所属(1名)
笹木竜三(衆議院)

民主党・小沢自由党時代から民由合併

新党友愛は4月に解党して民主党の結成に参加した。7月の第18回参議院議員通常選挙では、旧同盟系労組の支援を受ける直嶋正行自動車総連支援)・勝木健司UIゼンセン同盟支援)・長谷川清電力総連支援)の3名が民主党の比例代表名簿に登載され、全員再選している。

2000年6月の第42回衆議院議員総選挙では、神田厚西村章三が引退、島津尚純吉田治鰐淵俊之安倍基雄中村鋭一が落選した。

2001年7月の第19回参議院議員通常選挙では、民主党の比例代表名簿に候補者を擁立し、以降も常に民主党から候補を擁立している。初めて行われた非拘束名簿式の選挙で、藤原正司(電力総連支援)・池口修次(自動車総連支援)を初当選させた一方、ゼンセン同盟が支援する柳澤光美は落選した。

2002年9月の民主党代表選挙では、独自候補として中野寛成擁立に動いたが告示直前に撤回して鳩山由紀夫を支援し、鳩山代表再選の原動力となった。しかし、その後中野の幹事長就任が論功行賞として党内外から強い批判を浴び、鳩山執行部はわずか3か月足らずで辞任に追い込まれた[5][6][7]

2003年11月の第43回衆議院議員総選挙では、伊藤英成鍵田節哉今田保典塩田晋が引退、吉田が返り咲いた。

2004年7月の第20回参議院議員通常選挙では、直嶋を再選させたほか、小林正夫(電力総連支援)と柳澤を初当選させている。

2005年9月の第44回衆議院議員総選挙では、米沢隆や中野など多くの議員が落選し、勢力を大きく後退させた[8]。同選挙後に行われた9月の民主党代表選挙では、9月17日に自主投票を決定したが、大半は前原誠司を支持したとされる[9]。10月には旧民社党系議員でつくる創憲会議が新憲法草案を発表した[10]

2006年川端達夫が理事長に就任し、川端グループと呼ばれるようになった。4月の民主党代表選挙では、小沢一郎を支持し[11][12]鳩山グループ小沢グループなどとの関係を深めた。

2007年7月の第21回参議院議員通常選挙では、藤原・池口を再選させたほか、川合孝典(UIゼンセン同盟支援)を初当選させている。

2009年5月の民主党代表選挙では、自主投票としたが[13]、大半は鳩山を支持し[14][15][16][17]、8月の第45回衆議院議員総選挙で民主党が政権交代を果たすと、翌月に発足した鳩山由紀夫内閣では川端達夫・中井洽直嶋正行が入閣した。

2010年6月の民主党代表選挙では、6月4日に菅直人支持を決定し[18][19]2010年6月発足の菅内閣では川端・中井・直嶋ら全員が留任した。7月の第22回参議院議員通常選挙では、直嶋・柳田・小林・柳澤を再選させた一方、木俣佳丈が引退、島田智哉子が落選した。9月の民主党代表選挙では、8月18日に「代表選に臨むにあたっての基本姿勢」[20][21]を提言し、民主党綱領の制定や国家戦略局・衆参の憲法審査会の設置などを求めた。また、独自候補の擁立を模索したものの[22][23][24]、断念した[25]。告示後は、民社協会としての支持候補一本化の調整に難航し[26]、地方議員と党員・サポーターは自主投票とした[27][28]。最終的には拘束力のない会長声明として、菅再選支持を打ち出した[29][30][31][32][33]。9月発足の菅改造内閣では柳田稔高木義明の2人が入閣したが、柳田は失言で11月22日に辞任した。2011年1月発足の菅第2次改造内閣では、ベテランの中野寛成が国家公安委員会委員長として初入閣し、高木は留任した。

2011年6月末をもって、愛知民社協会が解散した[34][35]。同年、民主党内の他グループと重複しないことを条件に入会者を募り、辻泰弘[注 1]ら10人の希望があった[36]

2011年8月の民主党代表選挙では、支持候補の一本化を図ったが、会長の田中慶秋が前原支持を示唆したところ異論が噴出し、自主投票となった[37][38][39][40][41]野田内閣発足にともない、元文部科学大臣の川端が総務大臣として再入閣を果たすが、中野・高木は退任となり、1ポストだけの入閣となった。また副大臣も2ポストしか獲得できなかった。11月14日、平田健二参議院議長に就任した。


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