民族衣装
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出典検索?: "民族服" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2020年9月)

民族服(みんぞくふく、: Folk costume)は、ある地方や民族特有の衣服。言語・宗教・歴史など、自然や文化・伝統を共有する人間集団に固有の服で、民族衣装(みんぞくいしょう)ともいう。関連する呼称として、国家が国民に着用を推奨(または強制)する国民服、都会から離れた地域の衣装として民俗服・郷土服・地方服といわれるものもある。

タヒチの1775-1777年ごろの儀礼用民族衣装

概要

民族服は都会的な流行服と対になる概念として使われる。流行服は都会の上流階級の間で発達してきたが、民族服は流行に左右されにくい山村の庶民の間でとくに見られる。民族服はそれぞれに独自の形・デザイン・文様をもち、それを表現するために染織技術を発達させてきた。民族服は各地で暮らす人々の文化の多様性を視覚的に表現する文化的財産の一つといえる。

その一方で、現在民族服や民族衣装と認識されている衣服の内には、近代以降に国民国家の形成、あるいは民族主義の高まりのなかで形が整えられ、規格化されたものも少なくない。インドサリータイパーシンのように、ある地域で相対的に劣勢な民族が優勢な民族に紛れるために、優勢な民族の衣装を受け入れる形で民族を超えて広がった民族服もある[1]

21世紀現在、世界的に洋服が主流となってきているが、普段洋服を着用する人々の間でも、伝統行事に民族服を着用する場合もある。また、国によって伝統衣装の着用が国民に義務付けられているブータンなど、今日でも民族服を身に纏って生活している地域もある。

海外で儀式に出席の際のドレスコードでナショナルドレスと指定された場合は民族衣装を指している。
民族服の形

民族衣装はその形によって5つの形に分けられる。

巻垂型 - 人体にまといつける着装をするのが特色で、
エジプトや古代ギリシャローマの服装、インドのサリー、ドーティ、タイのパーチュンガベンなどがある。

貫頭型 - 頭を通してかぶって着る方式を言い、チリやタイのポンチョトルコシャルワール、日本の千早などがある。現代一般に着用されるセーターTシャツもこの形式に当てはまり広く着用されている。

腰布型 - 腰のまわりのみに衣料を装着したものである。

前開型 - 前が割れていて、前を合わせて着て、帯を締める着装を総称していう。東アジア一帯に分布する。

体形型 - 人体の形に合わせた衣服を言う。運動に適し実生活に便利であるため広く世界中に利用されている。

民族服は、流行服(ファッション)のデザインに影響を与えることもある。
各地の民族衣装
東アジア
日本

日本の民族衣装である「和服」は、平安時代の庶民の間で着られていた小袖が、平安時代末期から中世にかけて上流階級にまで広がり、日本独自の発展を遂げたものである。

和服は着物・呉服などもいう。平安時代中期以前の貴族は漢服の流れを汲む礼服などの衣装も着用しており、束帯などの儀礼的和服がある。安土桃山時代から江戸時代にかけてはポルトガルの影響も受け、ポルトガルの衣服が日本化した股引鯉口シャツなどは広く庶民の作業着や下着として普及した。現在では男性は紋付きの羽織・袴、女性は留袖・振袖などが正装として使われる、礼服としての和服は用途(結婚式や葬式など)によって使い分ける。普段着としては多くが廃れ、わずかに浴衣(男性では甚平作務衣なども)が夏場に好まれている。
中国モンゴルデール

中国では古代から17世紀まで「漢服」が着られていた。清朝では満洲民族の衣服と辮髪が強制され、漢服は道士などの衣服に名残をとどめるのみとなった。2000年代から漢服復興運動が起こっている。満洲人が建国した清王朝では、細い筒袖や裾の長いスリットをもつ、乗馬に適した「旗装」が着用された。男性用の旗装を現代風の女性の普段着にアレンジしたものが「チャイナドレス」である。中華人民共和国が成立してからは人民服(中山服)が着用されたが、21世紀の現在は洋装が広く着られている。
韓国・北朝鮮

朝鮮半島の民族衣装は「韓服」と呼ばれており、長いプリーツ・スカートの形状をしたチマと、丈の短く結び紐があるチョゴリ(上衣)を組み合わせた女性用のチマチョゴリが代表的である。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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