民族性またはエスニシティー(英語: ethnicity)とは、民族に関連する以下の概念のいずれか一つ(または複数)を指す語である。
ある民族(共通文化と同胞意識によって結びついている集団)が持つ性質・傾向のこと。 →本記事で扱う。
民族的出自:人・集団が系譜の上で属する一つ以上の民族のこと。(英語ではethnic originとも)
民族的同一性(民族的アイデンティティー):特定の民族への所属または帰属に関する個々人の意識のこと。(英語ではethnic identityとも)
民族集団そのもの(英語ではethnic groupとも)
民族性(みんぞくせい)とは、ある民族が持つ性質・心理的特質・気風・思潮・精神・心性のこと。英語ではethnic characteristicsともいう。
学問的には、文化人類学・心理学・精神医学などが研究する領域となっている[1]。
民族性を分析する手法には、観察、面接、心理テスト(パーソナリティテスト)などがある[2]。観察では、人々の個々の行動を観察し、そこから「行動の型」(パターン、pattern)を抽象し、「行動の型」から「文化類型」(コンフィギュレーション、configuration)を抽象し、「文化類型」から「気風、思潮、心性」(エトス、ethos、キャッチフレーズ)を抽象する、といった方法で集団・文化の特徴を捉えようとする[3]。心理テストは、文化・集団の中に最もたくさん見られるパーソナリティの型(モーダル・パーソナリティ、modal personality)を探すこと、慣習に沿った行動の心中にある心理状態を明らかにすること、文化・集団・慣習の中に在る個人差を明らかにすることが目的となる[4]。血液型の分布と心性を結びつけて民族性を理解する試みも行われているが、1979年時点の人類学の世界ではその手法は否定的に捉えられている[5]。 19世紀、ドイツのヴァイツが『未開民族の人類学』(1858年-1871年)を、同じドイツのバスティアンが『歴史上の人類』(1860年)を書いて、知能や、人間が持つ心理の基本・単位・要素といったものは、地球上のすべての民族に共通して同じもので、環境の相違が心性の相違を生む、と説いた。1859年、ダーウィンの進化論がセンセーションを起こし、民族性について考察する分野にも大きな影響を与え、フランスの哲学者レヴィ・ブリュールは、『未開社会の思惟』(1910年)『未開人の心性』(1921年)を書いて、未開を文明と比較してその思考様式を「前論理的」とし、人間の心性は「原始心性」から進化したと説いた。しかしボアズなどが進化論に影響を受けた理解を否定、「未開」か「文明」かということと論理的な思考を持つか否かは関係がない、と説いた。[6]。 ケンブリッジ大学調査隊 ドイツの哲学者ディルタイは『世界観の諸型』(1911年-1931年)を著し、思想を型に分類して把握する試みを行った。シュペングラーは、『西欧の没落』(1918年-1922年)にてディルタイの手法を用い、西欧社会の把握を試みた。ボアズに付いて学んだルース・ベネディクトは、この文化類型の手法を受けて、インディアン社会の実地調査の後『文化の型』(1934年)を著わした。ニーチェが提唱した穏やかなアポロ型と闘争的なディオニゾース型という型を用いて理解を試みた。[8]。ベネディクトと親交があり強く影響を受けたミードは、1928年に『サモアの思春期』を、1935年に『三つの未開社会における性と気質』を著わし、男女の性格の違いは環境によって、育て方によって、文化によって決まるものだ、と考察した。この本は女性の地位向上運動とリンクしてベストセラーになった。男女の性格・性質の違いは、すべてが環境に起因するものではなく、生まれ持った生物としての違いもある、ということは誰の目にも明らかだが、その割合がどうなっているかは、ミードが環境要因を強調した後、学説としては明確になっていない(1979年時点)。[9]。 ベネディクト、ミードの活躍を受けてアメリカでは、育児とパーソナリティの関係について関心が広まった。
民族性についての様々な研究と歴史
観察に基づく考察
実験心理学的な調査
文化の類型
文化とパーソナリティ論
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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