民放
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民間放送(みんかんほうそう、: private broadcasting)は、民間資本によって設立された放送事業者によって行われる放送[1]。また、その放送を運営する事業体。民放(みんぽう)と略称される。国営放送公共放送の対義語である。

主に営利企業により放送されるため、商業放送(しょうぎょうほうそう、: commercial broadcasting)という呼称も用いられるが、この呼称は私企業による放送に対してのみ使われ、非営利法人が行う放送(例・エフエム東京の前身であるFM東海)は該当しない。目次

1 歴史

1.1 英国の企業による放送開始

1.2 米国の企業による放送開始

1.3 日本の企業による放送開始


2 ビジネスモデル

2.1 広告

2.2 視聴料金


3 日本の民間放送

3.1 概説

3.2 民間事業者

3.3 マスメディア集中排除原則

3.4 沿革

3.4.1 ラジオ放送

3.4.1.1 中波放送・短波放送

3.4.1.2 FM放送

3.4.1.3 BSラジオ

3.4.1.4 CSラジオ


3.4.2 テレビジョン放送

3.4.2.1 地上波テレビ

3.4.2.2 BSテレビ

3.4.2.3 CSテレビ

3.4.2.4 エリア放送



3.5 マルチメディア放送

3.6 ケーブルテレビ


4 世界の民間放送

4.1 米国


5 脚注

5.1 注釈

5.2 出典


6 関連項目

7 外部リンク

歴史
英国の企業による放送開始

企業による組織的なラジオ放送の運営は、英国郵政庁GPOの許可を受け、1920年(大正9年)1月15日よりマルコーニ無線電信会社がチェルムスフォードから長波の6KWではじめた試験放送が最初である。しかしこれはラジオ放送の試験を目的とする許可だった。同年2月23日から15KWに増力すると共に、1日2回の定期放送が行われた[2]。1920年3月6日以降は不定期な試験放送に戻ったが、中でも同年6月15日に放送されたオペラ歌手ネリー・メルバ夫人のライブ音楽番組は、欧州大陸の聴取者に向けて三箇国語(英語、フランス語、イタリア語)でアナウンスされ注目を浴びた[3]。アメリカのRadio News誌が「the first world concert」と伝えているとおり、これが国際放送の嚆矢である[4]。このチェルムスフォードからの試験放送は欧州大陸だけでなく、同年8月2日には大西洋を超えてカナダで受信され評判となった[5]。しかし英国空軍の無線システムに妨害を与えることが分かり、この年の秋には中止された。

1922年(大正11年)春、マルコーニ科学機器会社にライトル2MTおよびロンドン2LO、メトロポリタン・ヴィッカーズ電気会社にマンチェスター2ZYの免許が与えられたが、同年10月18日に英国郵政庁GPOの音頭取りで設立されたイギリス放送会社(1927年に公共放送化され英国放送協会)に移管された。
米国の企業による放送開始

米国では民間放送より国営放送が先行し、1920年(大正9年)1月17日ワシントンD.C.アナスコティアにある「海軍支援施設」から、海軍省が娯楽音楽放送(コールサインNOF)をはじめた[6][7]。これに少し遅れて、ペンシルベニア州ピッツバーグウェスティングハウス電気製造会社の無線技術者フランク・コンラッドが実験局8XK(中波1200kHz, 100W)で放送実験していたものを、同社のデヴィス副社長が拡張・発展させ、1920年11月2日より本放送を開始した。そのコールサインはKDKAで、これが世界初の民間放送のラジオ局である[8] [注釈 1]

ウェスティングハウス電気製造会社のKDKAはスポーツ中継 [注釈 2]、日曜礼拝中継 [注釈 3]、アーリントン海軍局NAAの夜10時の時報を中継する「時報サービス」 [注釈 4]、生バンド演奏番組 [注釈 5] などを次々と開発し、さらには週刊番組ガイド誌"Radio Broadcasting News" を出版。その創刊号は1921年(大正10年)12月末の発売で、1922年(大正11年)第一週(1月1?7日)の番組の「聴きどころ」を紹介した。また系列局の開設でサービスエリアを拡大すると共に、廉価版ラジオ受信機を開発し、商品ラインナップに加えるなど、ラジオ放送の浸透・定着にKDKAは大きく貢献した。その結果、1922年からライバルとなる民間放送会社が爆発的に増えて、深刻な周波数不足が起きた。
日本の企業による放送開始

日本では1924年(大正13年)に大阪朝日新聞昭和天皇御成婚奉祝式典の中継、大阪毎日新聞では第15回衆議院議員総選挙開票中継など民間企業によるラジオ放送が実験的に行われていた。まもなくして逓信省が中心となり放送の免許制が整えられ、新聞社や通信会社との調整の上、1925年(大正14年)に社団法人東京放送局・大阪放送局・名古屋放送局(のちの日本放送協会NHK放送センターNHK大阪放送局NHK名古屋放送局)が設立されると新たな民間放送の設置が制限された。

太平洋戦争終結後、日本を間接統治したGHQは当初、軍事的な立場と急進的な放送局の出現を危惧し「NHK独占、民放却下」の原則を打ち出していたため民放の設置は否定されていた[9]。その後、1950年(昭和25年)に民間放送の設置が認められる放送法が公布施行され、翌年の1951年(昭和26年)9月1日、愛知県の中部日本放送(現在のCBCラジオ)と大阪府の新日本放送(現在の毎日放送MBSラジオ)のラジオ放送開始(CBCラジオが6時30分本放送開始、MBSラジオが12時本放送開始)が日本で最初の民間放送としている。テレビジョン放送の第一号は1953年(昭和28年)8月28日にVHFにより放送を開始した日本テレビである。
ビジネスモデル

日本以外では最も初期のビジネスモデルは放送受信機の販売だった。ウェスティングハウス電気製造会社はKDKAにより、市民が聴きたくなるような良質の番組を提供することで、自社の放送受信機を大量に販売することを想定していた。良いレコードがあれば蓄音機が売れるという考えである。しかし1920年代の後期ごろより、この方式の限界がみえはじめ、広告収入を目指すように移っていった。
広告

無料放送を行う民間放送ではスポンサーからのコマーシャル(広告)が中心となる。とりわけ地上波放送はコマーシャルの広告効果は重要視され、またテレビの場合は番組視聴率を広告効果の指標とすることも多い。また、放送事業に投資した資金をスポンサーや市場(視聴者)から回収出来るかどうかという問題が常につきまとう。このため、興味本位あるいはスポンサーに迎合した番組制作が行われることが懸念されたり、2003年(平成15年)に日本テレビの社員が引き起こした視聴率の買収工作などが問題となったこともある。そういった理由から放送倫理・番組の質を確保するため、かねてより放送界の自主的な取り組みを行っており、日本ではNHKと共同で「放送倫理・番組向上機構」(BPO)を2003年7月1日から発足させている。

なお、視聴料金を収入の礎とする放送事業者はコマーシャル放送を行わない場合もある。
視聴料金


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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