民主党_(タイ)
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タイ政党民主党
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党首チャルームチャイ・シーオン(英語版)
成立年月日1946年4月6日
人民代表院議席数25 / 500   (5%)(2023年5月14日)
政治的思想・立場中道[1][2][3] - 中道右派[4][5][6][7]
古典的自由主義
保守自由主義
シンボル
国際組織アジア・リベラル民主評議会
自由主義インターナショナル
公式サイト ⇒www.democrat.or.th
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民主党(みんしゅとう、Democrat Party、????????????????)は、タイ王国政党。タクシン元首相派のタイ貢献党に対し、反タクシン派の立場を取る政党である。
概要

現存するタイ最古の政党で、1946年タイ仏暦2483年)設立。新聞サヤーム・ラット紙の創設者であり、小説家、芸能人でもあるククリット・プラーモート戦後に二度首相を務めたクワン・アパイウォンが中心となって設立された。傾向としては立憲君主制文民政治、中道リベラルなど穏健派の色彩が強かった。アジア地域のリベラル政党からなるアジア・リベラル民主評議会に参加している。

与党野党を繰り返し、1992年?1995年、1997年?2001年にチュワン・リークパイが2度首相になるなど、数多くの首相を輩出した。厚い支持基盤を特権階級軍部バンコク中産階級に持つ。タクシン政権下では野党だったが、軍事クーデター後は、党勢の回復が伝えられている。しかし、総選挙では一度もタクシン元首相派に勝利したことがない。

タクシン政権の与党タイ愛国党と共に、総選挙時の不正により解散命令を出される可能性があったが、憲法裁判所2007年5月30日、証拠不十分で無罪であるとの判決を下した(愛国党には解散命令が出されている)。しかし、同年12月の下院総選挙では、愛国党を事実上引き継いだ国民の力党に及ばず、野党となった。

2008年12月15日反タクシン派による社会危機に乗じて発生した司法クーデターでタクシン元首相派のソムチャーイ・ウォンサワット内閣が崩壊すると、軍部と特権階級に支援された民主党が政権を掌握し、政権崩壊に伴う下院臨時議会においてアピシット・ウェーチャチーワが新首相に指名されアピシット内閣を組織し、2001年以来の政権復帰を果たした。

アピシット内閣は、特権階級だけでなく、中産階級の支持を広げる政策を標榜する一方で、混乱による国民の不満を外にそらすため、強烈な国粋主義民族主義にもとづく露骨な強硬外交を掲げ[8]2011年領土問題を抱えるカンボジアの攻撃を強行し、住民を巻き込んだ武力紛争を引き起こした。この紛争により、双方の兵士や住民ら30人近くが死亡し、100人以上が負傷した[9]。また、政権への批判は国王への反逆とみなし、国家警察や国軍などを動員して厳重な統制を行い、タクシン元首相派の多くの市民虐殺した(2010年タイ反政府デモ#暗黒の土曜日)。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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