「DKBA」はこの項目へ転送されています。民主カレン仏教徒軍から分派した、同名の略称を有する組織については「民主カレン慈善軍」をご覧ください。
民主カレン仏教徒軍
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指導者ウ・トゥザナ
活動期間1994年 (1994)?2010年 (2010)
活動地域 ミャンマーカレン州
主義カレン族ナショナリズム
上座部仏教
規模6,000
関連勢力
ミャンマー内戦
Karen conflict
民主カレン仏教徒軍(みんしゅカレンぶっきょうとぐん、ビルマ語: ?????????? ????????? ????????????? ???????、英語: Democratic Karen Buddhist Army、略称DKBA)は、ミャンマーのカレン族系少数民族武装勢力である。当時ミャンマー最大級の反政府武装勢力であり、キリスト教の影響が強かったカレン民族解放軍(KNLA)から分派した。分派からまもない1994年12月にミャンマー政府と停戦協定を結び、ミャンマー軍のカレン民族同盟(KNU)および同盟勢力に対する攻撃を支援することを条件に軍事・財政的支援を受けた[1]。2010年には国境警備隊として、ミャンマー軍の下部組織となった。
歴史
創設「ウ・トゥザナ」も参照
カレン民族同盟(KNU)およびその軍事部門であるカレン民族解放軍(KNLA)はキリスト教色の強い組織であり、幹部のほとんどをキリスト教徒が占めていた。一方で、一般兵卒のほとんどは仏教徒であり、彼らは蓄財を続ける専制的な組織幹部に反感を抱くことも少なくなかった[2]。
DKBA創設の直接的契機となったのは、1990年にカレン族僧のウ・トゥザナが、KNUの本部があるマナプロウ(英語版)にほどちかい、Thu Mwe Htaの丘に仏塔を建てようとしたことであった。KNUは仏塔がミャンマー軍の空爆の目標となることを恐れたほか、仏塔の建設事業の背後にミャンマー軍がいるのではないかという考えを持っていた。KNU議長でセブンスデー・アドベンチスト教会信徒のボー・ミャはトゥザナの弟子4人を逮捕し、彼を交渉の場に立たせようとするも決裂し、仏塔建立は中断された。建立に関与した僧侶はThu Mwe Htaから退去し、KNLAのポーターをするように命じられた。また、ある幹部は仏塔の傘(ティ(英語版))を撃ち落とすと発言し、キリスト教徒の幹部と仏教徒の将校の間の断絶は強まっていった[1]。1994年12月には仏教徒の兵士らが離脱し[2]、ウ・ トゥザナの影響のもとで1994年12月には民主カレン仏教徒協会(Democratic Karen Buddhist Organisation、DKBO)が、1995年1月1日にはDKBAの結成が宣言された。同団体は1994年時点ですでにミャンマー軍と同盟を結んでおり、人類学者のミケイル・グラーヴァス(Mikael Gravers)はこれは軍による謀略であったと論じている[1]。 DKBAはキン・ニュンら軍事政権の支持のもとパアン平原地帯を制圧し、カレン州一帯をミャンマー政府の管轄下に取り戻した[3]。一方で、カレン人権グループ
創設後の経緯