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氏(うじ、うぢ)は、血縁関係のある家族群で構成された集団。氏族。氏族は、共通の祖先を認め合うことによって連帯感を持つ人々。氏族名で弁別される。一般に父系・母系のどちらか一方の出自関係をたどって帰属が決まる。成員が相互の具体的な系譜関係を認識していない点で、リネージ(lineage、血統、系統、家柄)と区別される。クラン(clan、氏族、一族、一門、閥、族、一味、大家族)。万葉集二〇「大伴の氏と名に負えるますらをの伴(とも)」[1]

氏(うじ、うぢ)は、古代日本において、氏族に擬制しながら実は祭祀・居住地・官職などを通じて結合した政治的集団。その内部は、姓(かばね)を異にする家族群に分かれ、上級の姓を持つ家族群が下級の姓の家族群を支配し、最下層には部民(べみん、べのたみ)および奴卑(ぬひ)が存在した[2]。族長的地位に立つ家の家長が氏の上(かみ)となり、大化の改新前の部民の田荘(たどころ)、律令制下の氏の賤(せん)などの氏の共有財産を管理し、氏神を奉祀(ほうし)して、氏人(うじびと)集団を統率した。律令制の解体とともに氏としての名は次第に消え、など少数の氏の名のみが残った[3]。→氏長者藤氏長者

氏(うじ、うぢ)は、家々の系統を表す名称。苗字(名字)。また、家の称号[2][3]

氏(うじ、うぢ)は、家がら(家柄[2][3]

氏(うじ、うぢ、し)は、近世以降、武士階級の間で、多く同輩以下に対して苗字に添えて用いた敬称[2]。現在では「し(氏)」と発音する[3]

氏(うじ、うぢ)は、1890年の明治民法以降の法文での「氏」「」「苗字」の法的な呼称。→戸籍[2][3]

氏(うじ、うぢ)は、男系祖先を同じくする同族血縁集団。[要出典]

[要検証ノート]
古代氏族としての「氏」

日本古代における氏(うじ、ウジ)とは、男系祖先を同じくする同族血縁集団、即ち氏族を指す。

[要検証ノート]家々は氏を単位として結合し、土着の政治的集団となった。さらに、ヤマト王権(大和朝廷)が形成されると、朝廷を支え、朝廷に仕える父系血縁集団として、氏姓(うじかばね)制度により姓氏(せいし)へと統合再編され、支配階級の構成単位となった。

氏では、主導的立場にある家の家長が「氏の上」(うじのかみ)となって、主要構成員である「氏人」(うじびと)を統率し、被支配階層である「部民」(べのたみ)や「奴婢」(ぬひ)を隷属させた。氏は、部民や田荘(たどころ)、(せん)などの共有財産を管理し、「氏神」(うじがみ)に共同で奉祀した。氏の名は朝廷内での職掌や根拠地・居住地の地名に由来し、多くは氏姓制度により地位に応じて与えられたカバネ(姓)を有し、政治的地位はカバネによって秩序づけられた。

国名(国造)に由来する氏 - 出雲氏出雲国造)、尾張氏尾張国造)、紀氏紀国造)、諏訪氏洲羽国造)、吉備氏(吉備諸国造)、葛城氏葛城国造)、毛野氏上毛野国造下毛野国造)など。

原始姓に由来する氏 - 和邇氏穂積氏蘇我氏阿曇氏久米氏など。

朝廷内の職掌(品部)に由来する氏 - 物部氏大伴氏丈部氏額田部氏膳氏海部氏磯部氏阿曇犬養氏鳥取氏坂合部氏など。

宮号に由来する氏 - 長谷部氏小長谷部氏金刺氏他田氏など。

皇族(名代)に由来する氏 - 建部氏刑部氏日下部氏など。

天皇に姓を賜わり新たに命名された氏 - 藤原氏橘氏源氏平氏豊臣氏など。

多氏阿倍氏のように、地名起源か職掌名起源か議論がある氏もある。ウジの後には、(古代は)格助詞「の」を入れて読む。この「の」は、帰属を表す。例えば「蘇我馬子(そがのうまこ)」ならば、蘇我氏「の(に属する)」馬子、源頼朝(みなもとのよりとも)ならば、源氏「の」頼朝という意味となる。

また、氏の呼称は男系祖先を同じくする血縁集団に基づいて名乗るものであり、婚姻によって本来所属していた家族集団とは違う氏に属する家族集団に移ったとしても変えることはできなかった。ただし養子縁組の場合はケースバイケースであった。源師房藤原頼通の養子になっても「藤原師房」とは名乗らなかったが、源義家の四男惟頼が高階氏に養子に行ったときは、高階氏に改称している。藤原清衡のように、もともと入り婿の形で清原姓を名乗っていたものが、藤原姓に戻したものもある。
氏と姓

氏(ウジ)(朝廷が認めた血縁集団の区別を表す)と姓(カバネ)(朝廷との関係を表す)とは区別され、朝廷の公式文書では近世(江戸時代)まで続いた(例えば、足利尊氏は「源朝臣尊氏」と記し、「源」が氏(ウヂ)で、「朝臣」が姓(カバネ)である)。

異なる系統でも、同じ「氏」の名を持つことがあった(例えば、源氏)。
家の名称としての「氏」
中世

平安時代より、一般には、姓は氏を指し同じ意味となった(例えば、源姓は源氏を意味する)。

加えて、貴族や武士では、血縁集団(同じ氏に属する)から分かれた新たな家族集団を区別するために地名を用いて家名ないし苗字(名字)を自ら名乗るようになり、それが一般的に通用するようになった(例えば、足利尊氏は、氏の「源」を使った場合は「源尊氏」であるのに対し、名字(苗字)の「足利」を使った場合は「足利尊氏」である[4])。

異なる氏族でも、同じ苗字を持つことがあった(例えば、源姓足利氏と藤姓足利氏)。
近代


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