氏神一番
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カブキロックス
出身地
日本
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ロック[1]

ヴィジュアル系[2]

活動期間1986年 -
レーベル

アポロン

東芝EMI

ビオン

キングレコード

事務所カロスエンターテイメント(業務提携)

メンバー

氏神一番(ボーカル

青木秀麻呂ギター

坂川美女丸(ギター)

胡縞武蔵(ベース

三柴三蔵(ドラム


旧メンバー

大谷セイシロー(ベース)

井上晴之介(ドラム)

大槻セイシロー(ギター)

健士郎(ベース)

鬼島力蔵(ベース)

ピカベエ(ドラム)

紫炎(ベース)

華織(ドラム)

山田幸之介(ドラム)

カブキロックスは、日本ロックバンド[1]1989年TBS系で深夜に放送されていたバンドオーディション番組『平成名物TV 三宅裕司のいかすバンド天国』(通称『イカ天』)に出演してブレイク。翌1990年、『お江戸-O・EDO-』でメジャーデビュー。

歌舞伎隈取を主なモチーフとした奇抜なメイクと派手な和装が大きな特徴。初期のアルバムには歌舞伎の演目をモチーフにした曲が多い。ボーカルである氏神一番のパフォーマンスには、「見得」等の歌舞伎独特の所作が多く見られる。

元禄3年(1690年)から現代へタイムスリップしてきたという設定で、ライブを“狂言雷舞”、曲目を“演目”と呼ぶ。パートについても同様の和風言い換えで、ボーカルを“歌い手”、ギターを“六味線”、ベースを“四味線”、ドラムを“洋太鼓”、キーボードを“鍵盤”と呼ぶ。
来歴
“カブキロックス”前夜

カブキロックスの前身は、有村一番(氏神一番)が結成した和洋楽器混成のバンド“KABUKI ROCK 一番屋”[3]と、青木秀樹(青木秀麻呂)が結成した和製グラムロックバンド“ヒステリックグラマー”という別々のバンドだった(共に1986年結成)。両バンドは、当時原宿歩行者天国(ホコ天)や各地のライブハウスで主に活動をしていた。

青木の“ヒステリックグラマー”は、インディーズレーベルでミニLP『Glamorous Pop』を発表するなど精力的に活動しており、既に『イカ天』にも出演し、完奏した経験もあった(1989年2月18日 第二回放送時:在宅審査員賞を受賞)。

一方、有村(氏神)の“KABUKI ROCK 一番屋”もフジテレビ系で放送された深夜番組『冗談画報』に、歌手の上田正樹を推薦人として出演(1987年4月22日)し、また『SUPER WEEKEND LIVE 土曜深夜族』(TBS、『イカ天』の前番組)のバンド特集の企画に出演するなどして認知度を上げ、一旦はCBSソニーからデビューが決まりかけた状態だった。しかし、レコード会社による“有村(氏神)と、オーディションで選出されたバンドマンとを組み合わせた新ユニットよるデビュー”という方針に有村自身が納得できない状態であった[4]

そして、その頃放送されていた『イカ天』への出演を熱望していた有村は、既にライブ等で共演して知り合っていた“ヒステリックグラマー”の青木に相談をしたところ、彼に“有村(氏神)と、ボーカル以外のヒステリックグラマーメンバーによる新バンドでの『イカ天』出演”を提案される。この青木による提案内容を、“KABUKI ROCK 一番屋”でのTV出演を禁止していたCBSソニーのディレクターが渋々ながら承認したため、晴れて“カブキロックス”としての『イカ天』出演が実現した。

(※ただし、これは“一番屋”のメンバーには事前に知らされておらず、後に一番屋メンバー内での激震の元となる)
『イカ天』出演 - メジャーデビュー

1989年10月14日の『イカ天』で、沢田研二の『TOKIO』を江戸時代風の歌詞にアレンジした『お江戸』を演奏し完奏。この週は赤と紫の衣装をまとった黒子2名も登場し、演奏時に大扇子を広げての回転パフォーマンス、氏神の梯子乗りパフォーマンスの補助を、演奏終了時に紙吹雪撒きを行った。なお、この時のインタビューにおいて氏神は「マイクスタンドは総ヒノキ作りで塗り」とも話していた。

この週のイカ天キングの座は、先々週(前の週は特番)にBEGINが5週勝ち抜けて“グランドイカ天キング”となったために空位となっていた。カブキロックスは同じくこの週に完奏したA★VANT-GARADE、THE SAKURA突然段ボールなど6組のバンドの中から“仮イカ天キング”に選出される[5]

ちなみにこの週、『イカ天』の審査員であり、“エキゾティクス”等で沢田研二のバックバンドのベーシストを勤めた経験がある吉田建に、当初ニコニコしながら「貴重な3分間でした。糸井さん(『TOKIO』の作詞者)や沢田さんが観ているといいですね」と述べた後、「別にコメントはありません」と無言になりスタジオ内は大爆笑となった。

“正キング”の座をかけた10月28日の収録(生放送の予定が'89ニチレイインターナショナルゴルフ放送のため直前に中止、番組は収録の上で11月4日に放送された。『イカ天』唯一の録画放送)では、氏神が作詞作曲をしたオリジナル曲『好色一代男』で臨み、「これは最後まで見ちゃうよね」と三宅を唸らせたものの、チャレンジャーのサイバーニュウニュウに敗れてしまったため、正キングにはなれなかった。この週の演奏では、氏神の依頼で“KABUKI ROCK 一番屋”の担当メンバーも出演。アルバムに収録されている同曲とは異なり、鼓を前面に押し出したアレンジとなった。演奏中には氏神が毛振りのパフォーマンスを見せた。ちなみにこの週には、審査員の伊藤銀次に「温泉のショーみたいですね」と言われている。イカ天キング選定の際には吉田建に「これじゃ真面目にやっているバンドが報われないよね」とも言われている。この吉田の発言については、氏神の著書に、他のバンド以上に真面目にやっている自負があったがゆえに大変憤慨した、という旨の記述がある[6]。正キングの座は逃したものの、彼らの奇抜な姿とレベルの高い演奏は多くの視聴者に強い印象を残し、『イカ天』番組内の、視聴者投稿による『週間アマチュアベスト10』で初登場一位を獲得した。

同番組内のコーナー『ロックロックこんにちは!』では、『緊急取材 カブキロックスの正体を暴く!』と題して、以前出演した“ヒステリックグラマー”と同一バンドなのではないかという疑惑に迫られた。これは、カブキロックスが『イカ天』史上初めて再チャレンジをしたバンドだったこともあり、疑惑解明、真相に迫るというよりは話題性を増すために面白おかしく作られた企画であった。結局両者は別人であると結論付けられたが、その理由も「名前が全く違う」など、理由になっていないものであった。

翌1990年元日日本武道館で開催され、1月2日にTBS系で放送された『輝く!日本イカ天大賞』では、オープニングに『お江戸』、ベストパフォーマンス賞受賞による演奏で『好色一代男』と、出場バンドで唯一2曲を演奏している。

この年には、成人の日に放送された『NHK青春メッセージ'90』へのゲスト出演や、ヤングジャンプ表紙グラビア、ニューヨークライブ、氏神一番の1990年のTBS春の番組キャンペーンキャラクターとしての抜擢などで爆発的に知名度を上げていき、遂に同年5月21日にシングル『お江戸-O・EDO-』で念願のメジャーデビューを果たした。江戸という設定は時代考証が難しく、キャラクターを演じる上では不利なので後悔していると、交友があり当時オペラを芸風としていた伊集院光に打ち明けている。
イカ天ブーム終焉によるメンバー脱退 - 活動停滞

シングル『お江戸-O・EDO-』の発売から1カ月後の6月21日に1stアルバム『KABUKI-ROCKS』をリリース。その後も、アニメ『ドラゴンクエスト』のエンディング主題歌(虹の都)としてのタイアップや、映画『1990牡丹燈篭』への出演、東京音楽祭世界大会出場、全日本有線放送大賞新人賞等、破竹の勢いで進んでいくが、1990年末の『イカ天』放送終了によるバンドブームの沈静化により、“『イカ天』の顔”的な存在であったカブキロックスの人気にも徐々に翳りが出始める。

そんな中、ギターの青木秀麻呂が自身のバンド“ラヴ ミサイル”(1992年日本クラウンよりデビュー)を結成し、1991年渋谷公会堂ライブを最後にカブキロックスを正式脱退。

続いて翌1992年には、脱退した青木の替わりにベースからギターに転向していた大槻セイシローも脱退してしまう。

また同じ頃、残ったメンバーのうち氏神と坂川は、ロックバンド“人間椅子”の和嶋慎治と3人で“かぶきいす”というアコースティックユニットを結成し、カブキロックスとは別にライブ活動を行っていた。

1993年、所属レコード会社をアポロンから東芝EMIに移籍し、アニメ『剣勇伝説YAIBA』の主題歌シングルを発売。その後、移籍第一弾アルバムとして3rdアルバム『勇気』をリリースした。さらに“平成の勇気ツアー”と題して全国ライブハウスツアーを敢行するも、活動機会は減少の一途を辿る。

そして遂にはドラムの井上晴之介も去り、氏神一番 (Vo)・坂川美女丸 (Gt)・健士郎 (Bs) による3ピースユニットとして、細々とライブハウスでの活動を続けることとなる。
2001年“新生カブキロックス” - 現在

2001年、健士郎に替わる新ベーシストに鬼島力蔵、新ドラマーにピカベエ、さらにキーボーディストとして侍麹之介(当初の芸名はサムライ宏治)を加え、“新生カブキロックス”として本格的に活動を再開。

また、同年8月9日、青木秀樹(青木秀麻呂)主催により恵比寿FABで開催されたライブイベント“Glamorous Night at FAB”のおまけとして“一夜限りのオリジナルメンバー雷舞”と称し、デビュー当時の初代メンバーによる復活ライブが実現した。

また、2002年6月20日のワンマンライブにおいても、前半に“新生カブキロックス”、後半にデビュー時の初代メンバーが揃った“元祖カブキロックス”という、新旧カブキロックスの対バンが実現した。

その後、初期メンバーの青木秀麻呂、大槻セイシローの復帰と坂川美女丸の脱退、およびメンバーの変更が公式サイトのBBSで発表され、氏神 (Vo)・青木 (Gt)・大槻 (Gt)・紫炎 (Bs)・華織 (Dr) というメンバー構成になり、久々にツインギターによる5ピースバンドの形態を取り戻す。

2006年、ベースの紫炎が脱退。後任として胡縞武蔵が加入。

2007年、ドラムの華織が脱退。

2009年、三柴三蔵が後任ドラマーとして加入。氏神一番主催のライブイベント『JAPONES CREW 和Rock Night』[7]に出演。

2009年10月21日、20周年記念シングルとして「大江戸 恋町 華の町/御免ねお夏」をリリース。

2011年2月23日、21世紀の昭和歌謡「めぐり愛ナイト」をリリース。

2012年、ギターの大槻セイシローが脱退。

2013年7月10日発売の、声優上坂すみれの2nd Single「げんし、女子は、たいようだった。」のミュージック・ビデオにおいて、「上坂すみれ feat.カブキロックス」という名目で、メンバー4人がバックバンドとして参加[8]。同年、坂川が再加入。

2015年1月1日に25周年ベストアルバム『NOW&BEST ?今昔詩歌集?』を発売。
メンバー
現在のメンバー
氏神一番(うじがみ いちばん/
1959年4月3日 -/江戸時代京都出身) ボーカル
当初の芸名は「有村一番(ありむら いちばん)」[9]だったが、『イカ天』出演時に司会の三宅裕司に“氏神”という言葉を芸名と勘違いされたために、一時期は芸名表記を「有村“氏神”一番」としていたが、東芝EMIへの移籍の頃に現在の芸名となる。“カブキロック”というコンセプトの発案者であり、唯一デビュー当時から現在まで在籍しているメンバー。歌舞伎の獅子をイメージした出で立ちであるが、初期の頃は歌舞伎独特の髪型の一つ「角前髪」と「車鬢(五本車鬢)」を模したかつらを付ける事もあった。ライブ時には総造りのマイクスタンドを使用するという凝りようであるが、反面、トークなどでは「拙者」「?でござる」など古風な喋りを意識するものの、アドリブが利かずに素に戻ってしまうなど、キャラクターが今ひとつ定まっていないことを周りから突っ込まれるのがお約束となっている。ノーメイク(素顔)で「お玉・幸造夫婦です」「GODドクター」などドラマにも出演経験がある。1991年に女優朝丘雪路を家元とする日本舞踊「深水流」の名取師範(深水雪業)となっており、日本舞踊家として歌舞伎座の舞台にも出演経験を持つ[10]ほか、粘土工芸師という一面も持つ。日本テレビ音楽学院ザ・バーズの第1期生であったため、日本テレビ系の歌番組では歌手のバックで踊っていたことがある。また、全国高等学校サッカー選手権大会のテーマ曲である「ふり向くな君は美しい」も歌っていた。


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