毛皮
[Wikipedia|▼Menu]
オポッサムの毛皮

毛皮(けがわ、: fur)とは、体毛がついたままののこと[1]。動物の毛皮を用いないフェイクファーなどの呼び方との対比で、本物の動物の毛皮のものをリアルファーとも言う。現代では、基本的には毛皮は皮の部分をなめして使う[1]

古来、防寒具ファッション[2]などに利用されてきた。一般に人間が衣類などに利用する上では、断熱性を求める場合には加工し易い体毛を持つ哺乳類が用いられる。なお哺乳類でも水辺などに生息する動物や、細かく柔らかい毛並みを持つ動物のほうが好まれる傾向もあり、過去にはそれら毛皮目あての乱獲などにより絶滅に瀕した動物もいる。

動物の犠牲を伴う毛皮使用への反対から、多数のファッションブランドがフェイクファーへ転向しつつあり[3]、EUでは毛皮製品の輸入額が過去10年間で60%以上減少した[4]
利用の歴史35万年前のトータヴェル人を再現した人形。(フランス、トータヴェル

人類旧石器時代から、狩猟を行い動物を食用にし毛皮を衣類として使用していたと考えられている。かつては防寒具として毛皮に代わるものはなかったと考えられており、特に寒冷な気候の北ヨーロッパなどでは、毛皮は生活に欠かせない必需品であった。カエサルの『ガリア戦記』にはゲルマン人が毛皮を着用していたことを示す記述がある。毛皮をまとっているエスキモー(『National Geographic Magazine』の1917年掲載写真)寒いコクピットに座るパイロットが着用した毛皮のコート

封建時代のヨーロッパでは、高級な毛皮は宝石などと同様、財宝として取り扱われた。イギリスヘンリー8世(在位、1509年 - 1547年)は王族貴族以外の者が黒い毛皮を着用することを禁じ、とりわけ黒テンの毛皮は子爵以上の者しか着用できないとした。18世紀以降にはヨーロッパ全土に広まり、貴族はキツネテンイタチなど、庶民ヒツジイヌネコなどの毛皮を使用していた。

黒テンやビーバー、キツネといった毛皮はロシアの主要な輸出品として、大きな商業上の利益をもたらした。16世紀以降、ロシア帝国は毛皮を求めて、東方に領土を広げ、シベリア開発を行った。ロシア政府はシベリアの少数民族に対し、毛皮の形でを徴収した。この税は「ヤサク」と呼ばれる。

18世紀にはラッコの毛皮が流行し、最高級品として高値で取引された。ロシア人はこれを求めて極東カムチャツカ半島、さらにはベーリング海峡を越えて北アメリカ大陸アラスカまで進出し、毛皮業者に巨万の富をもたらした。乱獲により、20世紀初頭にはラッコは絶滅寸前まで減少した。

シベリアやアラスカのエスキモーなど寒冷地方に生活する人々は、防寒用としてトナカイアザラシの毛皮を愛用している。帽子、上着、ズボン、長靴、手袋など、ほぼ全身を毛皮で覆っている。ロアール・アムンセン南極探検の際にはイヌイットから伝授された毛皮の防寒着を使用した。

20世紀の半ば以降、狩猟による毛皮の採取は減少し、大半は飼育場で飼われたものの毛皮を加工し生産するようになった。天然の毛皮は世界各地で産出するものの、重要な供給地は寒冷地である[1]
日本

旧石器時代の例としては、北海道柏台1遺跡から2万年前の着色された毛皮と見られる痕跡が確認されており、着色料としては黒色顔料である二酸化マンガンと赤色顔料である赤鉄鉱などが使用されたと見られ、採掘された鉱石も近くの遺跡から見つかっている[5]

日本において、他国から毛皮の輸入をうかがわせる逸話を記した記事は、『日本書紀斉明5年(659年)条に高句麗使人がヒグマの毛皮(敷物)を売ろうとした話が見られる(詳細は「ヒグマ#人間との関わり」の日本を参照)。この時期(7世紀半ばの時点)では、列島の北方(北海道)交易からもヒグマの毛皮が流れていた(それ以前では高句麗からの輸入に頼っていた)内容となっている。

嵯峨天皇の時代以来、渤海国からテン(貂)やトラなどの毛皮が高級舶来品として輸入された。平安時代には貴族の間で毛皮が流行し、富裕な人々が防寒着として着用した[6]延長5年(927年)の『延喜式』の弾正台式(貴族の服装規定)には、公式な場での位階別の毛皮着用基準が定められており、貂皮が参議以上しか着用を認められない最高級のランクとされていた。例えば、平家重代のである唐皮はトラの毛皮が用いられている(『平家物語』)。

室町幕府第6代将軍足利義教が再開した勘合貿易によって、中国側の回賜品目として蛇皮50張、猿皮1万張、熊皮30張が挙げられ、送られた[7]

庶民においては、古くよりたとえばマタギなど猟師は自ら仕留めた獣の毛皮を加工し、防寒着などとして用いていた。また豪奢な装飾用の敷物工芸品の素材として利用されていたようである。

ただし、一般では衣料素材としてはあまり積極的に使われておらず、細々とした流通にとどまっていた。日本の最初の、一般向けに毛皮を販売する専門店は、1868年栃木県日光市鉢石町で創業した山岡毛皮店だとされている[注 1]

第二次世界大戦時では、軍需品としてのムササビの毛皮が高騰した(詳細は「ムササビ#人との関係」を参照)。戦時下では大日本猟友会が毛皮を収入源としていた(詳細は「大日本猟友会#歴史」を参照)。また飛行服の素材として諸外国と同様にヌートリアの飼育を国民に奨励したが、戦後には放逐・野生化し問題となっている[8]

1959年1月14日に皇太子明仁親王正田美智子婚約の折、正田側が実家を出る折に身に着けていたミンクストールが当時のテレビで大々的に放映され、世の女性たちはミッチー・ブームで熱狂、ミンクのストールも注目された。おりしも日本は岩戸景気で大衆も豊かさを実感し享受する時代に突入していたので、毛皮はそれまで一部の権力者や有力者だけの贅沢品だった状態から、一気に一般労働者層でも頑張れば手が届く、高価で贅沢だが一般的な装飾的意味合いの強い衣料品にまでなった。

現代では動物愛護や動物の権利の意識の高まりから毛皮の利用に対して国際的な反対運動が展開されており、特に寒冷地等で「必需品」として利用するのではなく「贅沢品」として利用する事には強い嫌悪感を持つ人も多いと言われる。なお、愛玩動物としての地位もある犬や猫の毛皮に関しては、こういった嫌悪感が形成されやすい傾向も見られ、ヨーロッパでは2006年9月に流通していた毛皮製品の内に犬や猫のそれを使った物が確認されたため社会問題となり、2006年11月20日欧州連合の加盟諸国間では貿易禁止となった [9]
主な毛皮獣アカギツネの毛皮

哺乳類は体表に体毛が生えている。密生した体毛はその中に空気の層を保ち断熱性に優れており、これによって哺乳類はが逃げ体温が下がることを防いでいる。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:55 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef