毛皮を着たヴィーナス
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「 「毛皮を着たヴィーナスじゃありませんか!」私はくだんの絵をそれと目しながら大声で言った[1]

『毛皮を着たヴィーナス』(原題:Venus im Pelz)は、「小ロシアツルゲーネフ」と謳われた[2]ウクライナ出身のオーストリアの小説家マゾッホが、1871年に書いた中編小説。彼の代表作であり、そこには「マゾヒズム」の開花が見てとれる[3]。ポルノグラフィカルな性愛小説とみなされがちであるが、ドゥルーズは本作を「ポルノロジー」という、より次元の高いジャンルで扱うことを求めた[4]
梗概

毛皮を着たヴィーナスと戯れる夢をみていた「私」は、来訪していた友人宅の従僕に起こされる。友人であるゼヴェリーンにその奇妙な夢を語りながら、「私」はふと壁にかかっていた絵がまさに「毛皮を着たヴィーナス」を描いていることに気づく。独自の女性観を持っているゼヴェリーンは、粗相をした女中に鞭打とうとすることを制止した「私」に、夢の話への返答として、かつての自分の経験をまとめた原稿を読むことを薦めた。それによれば、

退屈なカルパチアの保養地で過ごすゼヴェリーンは、そこで彫刻のように美しい女性、ワンダと出会った。まだごく若い彼女は未亡人であった。ゼヴェリーンはその美貌と奔放さに惹かれ、またワンダも知性と教養を備えた彼を愛するようになる。自分が苦痛に快楽を見出す「超官能主義者」であることを告白した彼は、ワンダにその苦痛を与えて欲しいと頼む。そして自分を足で踏みつけ、鞭で打つときには必ず毛皮を羽織ってくれ、とも。はじめはそれを拒絶していたワンダだが、彼への愛ゆえにそれを受け入れる。そして2人は契約書を交わし、奴隷と主人という関係になる。

「「私に生殺与奪の権利があるのがあなたに分かるように、もう一つこれと別の書類を作っておきました。そちらの方では、あなたは自殺の決心をしたと声明しているの。だから私は好きなときにあなたを殺しても構わないことになります」

(…)
第一の書類には次のように書かれていた。
「ワンダ・フォン・ドゥナーエフ夫人並びにゼヴェリーン・フォン・クジエムスキー氏の間の契約書

ゼヴェリーン・フォン・クジエムスキー氏は今日よりワンダ・フォン・ドゥナーエフ夫人の婚約者たることをやめ、愛人としてのあらゆる権利を放棄するものなり。氏はその代わりに、男子としてまた貴族としての名誉にかけて、今後ワンダ・フォン・ドゥナーエフ夫人の奴隷となり、しかも夫人が氏に自由を返還する時期がその期限となるべく義務づけられるものである。(…)」

第二の書類は数語に尽きていた。
「数年来人生とその幻滅に飽みはてて、私はわが価値なき生に自由意志により終止符を打った」
[5]

しかしワンダにとって結局それは演技でしかなかった。「奴隷」を連れて旅行した先のイタリアで、ワンダの前に第三の男が現れる。ゼヴェリーンは嫉妬という苦痛に狂いそうになるが、ワンダは再び彼への愛を告げ、第三の男は意中にないと断言した。その翌朝、ワンダの寝室を訪れたゼヴェリーンはいつものようにワンダへ鞭打ちを頼み、縄で縛りつけてもらう。すると突然、そこに隠れていた第三の男が現れる。第三の男は力の限りを尽くしてゼヴェリーンを鞭で打ちつけ、その間ワンダは笑いこけるばかりであった。縄をほどかぬまま、2人は屋敷を出て行く。しばらくしてワンダからゼヴェリーンへ手紙が届いた。そこにある、当時の行いが「治療」であったという文章に、ゼヴェリーンは心から納得するのだった。

原稿を読み終えた「私」にテーマを問われたゼヴェリーンは、「女は男の奴隷になるか暴君になるかのいずれかであって、絶対にともに肩を並べた朋輩にはなりえない」という持論を改めて述べるのだった。
解題毛皮を着たファニーにひざまずくマゾッホ

この小説はマゾッホのかつての恋愛体験をなぞっていると考えられており、特に上述の「契約書」などの細部にはほぼそのまま「切子のように」に嵌め込まれている。ワンダのモデルとして考えられている女性は、主に2人いる。当時愛人関係にあった人妻ファニー・ピストールと、この小説を書いた後に出会い、伴侶としたワンダ・フォン・マゾッホ(本名はアウローラ・リューメリン)である[3][6]。マゾッホはワンダ・マゾッホとともに本作の筋を追うような生活を送り、第三者からの「寝取られ」によって関係が破綻するという点まで小説と同じであった[7]。マゾッホは小説の構図にあえて重ねるかのように、ワンダにこんな手紙を送っている。「私の労に対して、あなたは鞭で報いてくれるのでしょうね、いいですか?あなたは、ビロードと絹と、それから装身具のたぐいが好きだそうですが、毛皮もお好みではないのですか?(…)あなたも―それだけのお金があれば、の話ですが―毛皮の縁取りをしたジャケットを、家の中で着てみる気はありませんか?……」[8]。平野嘉彦はこういった「時系列の狂い」「複製性」が、マゾッホの倒錯の本質であると指摘している。例えば、この小説におけるワンダのイメージである「ヴィーナス」は、彼女が登場する前に「『私』の夢」や「ティッツァーノの絵」、「大理石の彫刻」として何度も繰り返し現れ、その後にやっとワンダ本人[9]が登場する。しかし、その後も彼女は「彫刻」「鏡」「肖像画」として反復、複製される。また極めて象徴的に描かれる「ティッツァーノの絵」も、そもそもが複製画であり、「大理石の彫刻」もレプリカなのである。平野はこれらのモチーフについて、「この小説に、いわば自己言及的な性格を与え」ており、「この物語は、そのまま『金の額縁におさめられ』た図像であるかのような」状況をもたらしている、と指摘している[10]。またこのような反復にある単調さ、退屈さは、それ自体が作者の「マゾヒズム」の一部であり、意図的なものだと平野はいう[11]

またドゥルーズは同様の点における未決定の宙吊り状態に着目し、小説に純粋な技巧としての宙吊りを取り入れたのはマゾッホが嚆矢であるとしている。彼によれば、「宙吊り」は単にゼヴェーリンが吊るされ、磔にされるということだけでなく、中心的な場面でワンダの仕草が彫刻や絵画、鏡などの「写真的場面」において凝固し、時間が停止することでもある。そしてドゥルーズによれば、この未決定性はマゾッホになぜか猥褻な直接的描写が存在しないこととも関わっている。


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