「毛皮のマリーズ」とは異なります。
毛皮のマリー
作者寺山修司
国日本
言語日本語
ジャンル戯曲
幕数1 [1]
初出情報
初出『映画評論』1967年10月号
出版元映画日本社
刊本情報
収録『寺山修司の戯曲 第1』
出版元思潮社
出版年月日1969年
初演情報
場所アートシアター新宿文化
初演公開日1967年9月
劇団劇団天井桟敷
主演丸山明宏(美輪明宏)、萩原朔美
ポータル 文学 ポータル 舞台芸術
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『毛皮のマリー』(けがわのマリー)は、寺山修司による戯曲である。1967年に丸山明宏(美輪明宏)主演で初演された[2]。主役である男娼マリーは男優が女装して演じるのがふつうで、「女装劇[3]」と称される。1幕物であり、5場に分かれている[1][4]。 寺山修司が主宰していた劇団である天井棧敷の3作目であり、美輪明宏(当時は丸山明宏)を主演に迎えることを想定して描かれた作品であろうと言われている[5][6][7]。寺山は前作『青森県のせむし男』で美輪を起用し、引き続き本作も美輪を主演とした[8][9]。寺山が生まれ育った世界の中にあるものを出そうとしていたと述べている[5]。美女の亡霊役としてはゲイバーのママが起用されたが、これは寺山がサンフランシスコで行われているアマチュアのバーレスク公演の話をヒントに思いついたアイディアだという[10]。 本作の執筆にあたって影響を与えた作品がいくつか指摘されている。タイトルはフランスのシャンソン「毛皮のマリー」("La Marie-Vision")からとられており、初演でもイヴ・モンタンが歌うこの曲が使用されたという[10][11]。冒頭から「白雪姫」の童話の引用があり、「鏡よ、鏡よ、鏡さん」という台詞が多少の変化はありつつも4回用いられている[12]。また、1960年にアメリカ合衆国の劇作家アーサー・L・コピットが書いた戯曲『ああ父さん、かわいそうな父さん、母さんがあんたを洋服だんすの中にぶら下げてるのだものね ぼくはほんとに悲しいよーまがいもののフランス的伝統にもとづく擬古典的悲笑劇』の影響が指摘されている[13]。 「鏡よ、鏡よ、鏡さん。この世で一番の美人はだれかしら?」浴槽で下男にすね毛を剃らせている40歳の男娼、毛皮のマリー。部屋の中では、半ズボンをはいた美少年欣也が、捕虫網でチョウを捕まえて、標本にしている。「つかまえたよ、マリーさん。」「マリーさんじゃないよ、お母さんだって言ったろ!」。マリーに育てられている美少年。ウミの母より、育ての母。そこへピンクのドレスにリボンをつけた美少女紋白が現れ、部屋に閉じ込められている美少年に、人生の新しい世界を教えてくれようとする。 ある夜、マリーが客に取った水夫に身の上話を始める。マリーは大衆食堂の子として生まれ、女ばかりの店員のあいだで店を手伝っているうちに、女装に目覚めていく。店員のひとり金城かつ子と、女の子の魅力をあらそう仲になる。ある夜、嫉妬にかられたかつ子がマリーに迫り嘲笑する。マリーは男を雇いかつ子を襲わせる。かつ子は男の子を生むが難産で死んでしまう。マリーはこの子を女の子として育ててゆくのだという。 ふたたび欣也の前に美少女があらわれる。迫られた欣也は美少女の首を締めて、部屋を出て行ってしまう。残された部屋にはチョウの標本と、女の子の標本。マリーは出て行った欣也の名を何度も呼ぶ。取り憑かれたような表情で戻ってきた欣也に、マリーはカツラをかぶせ、口紅を取り出すところで幕となる[15]。 1967年(昭和42年)9月、寺山が主宰する劇団天井棧敷により、寺山修司演出、丸山明宏(美輪明宏)がマリー役、萩原朔美が欣也役で、アートシアター新宿文化
執筆背景
登場人物
毛皮のマリー[14]
欣也
紋白
下男
醜女のマリー
名もない水夫
美女の亡霊1?6
快楽の滓
鶏姦詩人の男1?2
あらすじ
上演史
初演