毛利就兼
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 凡例毛利 就兼
時代江戸時代中期
生誕宝暦7年(1757年
死没寛政3年12月3日1791年12月27日
別名通称:三七郎、伊予、外記
幕府江戸幕府
長州藩
氏族吉敷毛利家
父母父:毛利広定、養父:毛利就将
兄弟就任、就兼
妻正室:毛利広豊の娘
継室:毛利就将の娘
益田房清、娘(毛利房直室)
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毛利 就兼(もうり なりかね/たかかね)は、長州藩一門家老である吉敷毛利家の8代当主。

の「就」の字は叔父(父・広定の実弟)で長州藩主の毛利重就から授けられたもので、重就が読みを変えた際には就兼もこれに倣って「たかかね」に読みを改めている。
生涯

宝暦7年(1757年)、一門右田毛利家毛利広定の次男として生まれる。安永2年(1774年)、養父毛利就将の隠居により家督を相続する。儒学者片山鳳翩に師事し、その助言を受けた。寛政3年(1791年)1月、実兄毛利就任の後任として当職(国家老・執政)となる。藩財政の改善のため、藩士に半知の馳走米(減知)を課そうとし、藩主毛利治親に止められる。同年、藩主治親が死去し、その葬儀と新藩主斉房の家督相続のため江戸に下り、その帰途12月3日に没する。享年35。家督は就任の次男の房直が婿養子となって相続した。
参考文献

山口市史

石川卓美著「防長歴史用語辞典」










安芸毛利氏当主
安土桃山時代まで

季光

経光

時親

元春

広房

光房

煕元

豊元

弘元

興元

幸松丸

元就

隆元

輝元

江戸時代

秀就

綱広

吉就

吉広

吉元

宗広

重就

治親

斉房

斉熙

斉元

斉広

敬親

明治以降

元徳

元昭

元道

元敬

元栄

分家・支流
徳山家

就隆

元賢

元次

元尭

広豊

広寛

就馴

広鎮

元蕃

元功

元秀

元靖

就擧

就慶

長府家

元清

秀元

光広

綱元

元朝

元矩

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匡満

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元運

元周

元敏

元雄

元海

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