毛利博物館
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毛利邸(もうりてい)は、毛利家近代江戸時代後)に建てた邸宅である。現存する毛利邸には、山口県防府市にある毛利宗家の本邸(現在の毛利氏庭園と毛利博物館)と、下関市にある長府毛利家の邸宅(長府毛利邸)がある。全ての座標を示した地図 - OSM
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目次

1 防府市の毛利邸

1.1 沿革

1.2 邸宅

1.3 庭園

1.4 毛利博物館


2 下関市の毛利邸

2.1 沿革

2.2 邸宅・庭園


3 その他の毛利邸(跡)

3.1 高輪邸

3.2 鎌倉別邸(旧毛利家別邸表門)


4 脚注

5 外部リンク

防府市の毛利邸

毛利氏庭園・毛利博物館
毛利博物館(毛利邸)外観
施設情報
収蔵作品数国宝7点を含む約2万点
館長田中誠二[1]
管理運営公益財団法人 毛利報公会[2]
開館1966年
所在地〒747-0023
山口県防府市多々良一丁目15-1
外部リンク ⇒http://www.c-able.ne.jp/~mouri-m/
プロジェクト:GLAM
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毛利博物館長府毛利邸 山口県地図

明治維新後に爵位を得て公爵となっていた旧長州藩主毛利家の毛利元昭が、国許に建てた邸宅と庭園[3]。東京ではなく山口に場所を定めたのは、明治23年(1890年)に毛利元徳が定めた家憲により、公爵毛利家の本拠は山口の「土地健康にして且つ交通便利の地」にすることが規定されていたことによる[4]。東京の高輪邸(後述)や、江戸時代に三田尻に建てられていた三田尻邸(三田尻御茶屋)に対して、多々良邸(又は防府邸)とも呼ばれていた。完成直後に大正天皇が宿泊したのを始め、その後も何度か天皇皇后が宿泊している。現在では、邸宅・庭園をあわせて国指定の名勝となっている。また、邸宅の一部が毛利博物館となっており、国宝重要文化財など2万点を所蔵・展示している。所在地は、防府市多々良一丁目15番1号(地図)。
沿革

明治25年(
1892年) - 用地買収を終えて着工するが、日清戦争日露戦争により工事を中止する。

大正元年(1912年) - 9月に改めて着工。

大正5年(1916年) - 完成。

昭和30年(1955年) - 山口県の名勝に指定される。

昭和42年(1967年) - 邸宅の一部を改装して毛利博物館となる。

平成8年(1996年) - 3月に毛利氏庭園として国の名勝に指定される。

平成23年(2011年) - 本邸が重要文化財となる[5]

邸宅

元長州藩士で、当時内務大臣であった井上馨が、多々良山の南麓に場所を選定したとされる。敷地面積は約5万3千平方メートル。本邸は、建築面積1,002平方メートル、10棟60部屋から成るヒノキ造りの木造瓦葺き。軒唐破風付きの車寄せや格天井の広間などの書院造を踏襲した和風建築であるが、シャンデリアの電灯を備え、椅子とテーブルを備えた絨毯敷きの応接室(唯一の洋室)もある。また、建材にコンクリート(塀や柱の中空部分や石垣の裏側をコンクリートで補強している[6])やトタンを用いたり、湯殿には大理石の浴槽に湯の出る蛇口を備えるなど、当時の最新技術が随所に用いられていた。なお、屋内外の電灯に供給される電力は、海外から輸入した電灯用瓦斯(ガス)機関による発電機によるもので、日中に発電機を稼働させて蓄電し、夜に電気を利用していた[7]。総工費は当時で約38万円(現在価格で150億円程度)とされる。
庭園

山陽道西国街道)に面した入口から薬医門式の表門を経て邸宅玄関前まで続く路傍庭園、玄関前の前庭、中雀門(ちゅうじゃくもん)から入る内庭で構成される。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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