比嘉大吾
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比嘉 大吾基本情報
本名比嘉 大吾
階級
バンタム級
身長161.0 cm[1]
リーチ163.0 cm[1]
国籍 日本
誕生日 (1995-08-09) 1995年8月9日(28歳)
出身地沖縄県浦添市[2]
スタイル右ボクサーファイター
プロボクシング戦績
総試合数24
勝ち21
KO勝ち19
敗け2
引き分け1
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比嘉 大吾(ひが だいご、1995年8月9日 - )は、日本プロボクサー沖縄県浦添市出身[2]。元WBC世界フライ級王者。志成ボクシングジム(旧Ambition GYM)所属。かつては白井・具志堅スポーツジムに所属していた。

2018年2月4日のモイセス・フェンテス戦で15試合連続KO勝利を収め、連続KO勝利数の日本記録に並ぶと共に、デビュー戦からの連続KO勝利数で日本新記録を樹立した[3]。入場テーマ曲は「ゴジラのテーマ」。マネジメント会社はトラロックエンターテインメント[4]
人物

沖縄県浦添市出身で[2]浦添市立仲西中学校を卒業。父親が少年野球の監督であったことから小学校、中学校と野球に熱中し、甲子園出場を目指して高校でも野球を継続するつもりが、2011年2月11日に井岡一翔オーレイドン・シスサマーチャイを破り世界王座を獲得したWBC世界ミニマム級タイトルマッチの中継を琉球放送で観戦し、試合が早く終わったため放送された、沖縄出身で元WBA世界ライトフライ級王者の具志堅用高のKOダイジェストに心を奪われ、「ボクシングをやろう」と決意した[5]。比嘉が幼い頃に離婚後、離れて暮らしていた父親に相談すると元プロボクサーで沖縄県立宮古工業高等学校ボクシング部監督の知念健次を紹介され、知念の下でボクシングを学ぶべく宮古島へ渡り、沖縄県立宮古工業高等学校に入学した[5]

宮古工業高に入ると知念から「とにかく攻める」スタイルを伝授された[6]。高校時代は3年次の2013年第68回国民体育大会でフライ級ベスト8が目立った成績であった[6]。なお高校ボクシング部時代の同級生に後に日本王者となる川満俊輝がいた[7]

高校卒業後はオリンピック日本代表選手を目指して大学進学を希望していたが、ボクシング部の顧問が、具志堅が経営する白井・具志堅スポーツジムの宮古島応援会会長でもあったため[8]具志堅に比嘉の名が伝わり、国体終了後に比嘉をスカウトするべく具志堅自身が宮古島へ訪問するなどしたことからプロ入りを決意し、2014年1月20日に白井・具志堅ジムへ入門することを発表した[5][9]

2014年6月17日、後楽園ホールでタイのセーンゲン・サックナロンを相手に51.5kg契約4回戦を行い、初回50秒KO勝ちを収めデビュー戦を白星で飾った[10]

2015年7月24日、バンコクWBC世界フライ級ユース王座を懸けてコンファー・CPフレッシュマートと対戦し、7回1分2秒TKO勝ちを収め王座獲得に成功した[11]

WBC世界フライ級ユース王座を2度防衛したのちに返上し、2016年7月2日に後楽園ホールでOPBF東洋太平洋フライ級王者のアーデン・ディアレと対戦し、4回2分39秒KO勝ちを収め王座獲得に成功した[12]

2016年11月5日、後楽園ホールでフェリペ・カグブコブ・ジュニアと対戦し、4回2分55秒KO勝ちを収めOPBF王座の初防衛に成功した[13]

2017年2月4日、後楽園ホールでディオネル・ディオコスとノンタイトル10回戦を戦い、4回2分29秒TKO勝ちを収めた[14]
世界王座獲得

2017年5月20日、有明コロシアムにてハッサン・ヌダム・ヌジカムvs村田諒太の前座で、WBC世界フライ級王者のフアン・エルナンデスに挑戦し王座獲得を目指したが、エルナンデスが前日計量で200グラム体重超過して王座を剥奪され[15][16]、比嘉が勝てば新王者となりエルナンデスが勝てば王座が空位となる条件で試合は行われ、比嘉が6回2分58秒TKO勝ちを収め王座獲得に成功した[17][18]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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