日本で建造された日本海軍の戦艦「比叡 (戦艦)」とは異なります。
比叡
基本情報
建造所 イギリス(イギリス・ペムブローク・ドック
比叡(ひえい)は日本海軍の装甲コルベット[5][1]。艦名は、滋賀県にある比叡山にちなんで名づけられた[5]。 船体は鉄骨木皮[5]。 機関はハル・アールス社で製造された[6]。速力は計画で13.5ノット、1879年(明治12年)の試運転で14.25ノットを計測したが、それは火夫の能力に大きく影響し、実際の速力はその3/4程度、全速11ノットから12ノットほどだった[7]。 1889年(明治22年)3月に呉鎮守府小野浜分工場で製造された両面高円缶2基と換装された(ボイラー老朽化のため)[6]。ボイラーは鋼製で直径11 ft 6 in (3,510 mm)、長さ18 ft 6 in (5,640 mm)、炉筒は1基につき6個あった[9]。 『日本巡洋艦史』(2011)によると1885年(明治18年)頃の「金剛」の兵装は以下の通り[1]。.mw-parser-output .plainlist--only-child>ol,.mw-parser-output .plainlist--only-child>ul{line-height:inherit;list-style:none none;margin:0;padding-left:0}.mw-parser-output .plainlist--only-child>ol li,.mw-parser-output .plainlist--only-child>ul li{margin-bottom:0} 1883年(明治16年)9月にブラッシュ式発電機と米国製探照灯を装備した[10]。 実施日種類排水量回転数出力速力場所備考出典 イギリス、ペンブロークのミルフォード・ヘヴン造船会社で起工された。設計は後に造船総監となるエドワード・ジェームズ・リードである。1875年(明治8年)6月5日に海軍大輔から太政大臣に宛て、英国に注文した甲艦の艦名を「扶桑」、他の2隻の艦名を「金剛」「比叡」としたいと上申[11]、6月15日に建造する鉄骨木皮艦を比叡と命名[12]、9月24日起工[5]。
艦型
機関
兵装
17cm単装砲 3基
15cm単装砲 6基
7.5cm単装砲 2基
25mm4砲身機砲 4基
11mm5砲身機砲 2基
35.6cm水上魚雷発射管 2門
兵装の変遷
公試成績
1879年4月20日14.25ノット[7]
1889年自然通風全力69rpm1,279馬力10.34ノットボイラー換装後の試運転[6]
艦歴
建造
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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