この記事に雑多な内容を羅列した節があります。事項を箇条書きで列挙しただけの節は、本文として組み入れるか、または整理・除去する必要があります。(2009年8月)
.mw-parser-output ruby.large{font-size:250%}.mw-parser-output ruby.large>rt,.mw-parser-output ruby.large>rtc{font-size:.3em}.mw-parser-output ruby>rt,.mw-parser-output ruby>rtc{font-feature-settings:"ruby"1}.mw-parser-output ruby.yomigana>rt{font-feature-settings:"ruby"0}毒蝮(どくまむし) 三太夫(さんだゆう)
浅草観音文化芸能人節分会(2016年)
本名石井 伊吉(いしい いよし)[1]
生年月日 (1936-03-31) 1936年3月31日(88歳)
出生地 日本・大阪府大阪市住吉区(東京育ち)
国籍日本
職業俳優、タレント、ラジオパーソナリティ、短期大学客員教授
ジャンルテレビドラマ、映画、バラエティ番組
活動期間1948年 -
配偶者あり
公式サイト ⇒まむちゃんの部屋
主な作品
テレビドラマ
『ウルトラマン』
『ウルトラセブン』ワイドショー番組など
『3時にあいましょう』ラジオ番組
『毒蝮三太夫のミュージックプレゼント』
テンプレートを表示
毒蝮三太夫
YouTube
チャンネル
マムちゃんねる【公式】
毒蝮 三太夫(どくまむし さんだゆう、本名及び旧芸名石井 伊吉(いしい いよし)[1]、1936年〈昭和11年〉3月31日[2] - 、男性)は、日本の俳優、タレント、ラジオパーソナリティ。まむしプロダクション所属。愛称は「まむちゃん」「まむし(さん)」。 江戸弁の要素がみられる話し方が特徴的な東京・浅草育ちの俳優で、1969年から開始した『ミュージックプレゼント』(TBSラジオ)の中継先レポーターとして長年活躍し、聴衆一人一人に語りかける際の愛のある悪口が人気を呼び、長寿番組となった。 関東地方では高い知名度を誇るラジオスターの一人である。 聖徳大学短期大学部客員教授も務める。 大工の息子として[3]大阪市住吉区に生まれたが、生後3カ月で東京市荏原区中延(現在の東京都品川区中延)に転居。第二次世界大戦中は、神奈川県横浜市戸塚区の親戚宅に縁故疎開していた。 1945年から1950年まで東京の浅草竜泉寺で育ち[3]、1948年、台東区立下谷中学校1年の時、友人と共に『鐘の鳴る丘』の舞台のオーディションに行ったところ、台詞の読みの闊達さを買われて自分だけが採用され、本名の石井伊吉名義で子役デビュー、戦災孤児を演じた[3][4]。同作品では、後に俳優となる久保明や江原達怡と共演した[5]。この舞台をきっかけに児童劇団に入り、NHKのラジオに出演[3]。 中学校では人気者で、生徒会の副会長に選ばれ、卒業式では卒業生代表として講堂で落語を披露した[3]。 谷口千吉監督『潮騒』など東宝や大映の青春映画に出演するも、東京都立大森高等学校卒業の頃に児童劇団を辞め、日本大学芸術学部映画学科では新劇をやるために影万里江、増山江威子、稲吉靖司、北浜晴子、豊原ミツ子らと「劇団山王」を組織し、石原慎太郎の『処刑の部屋』などを演じた[3][6]。また、この「山王」時代の仲間の一人が後に『笑点』で共演する立川談志と知り合いで、仲を取り持っていたこともあって、毒蝮曰く、談志とはこの当時から「ウマが合っていた」とのこと[6]。 テレビドラマには草創期である1950年代から出演している。1966年には『ウルトラマン』に科学特捜隊のアラシ隊員役で出演、子どもたちの人気者となった。引き続き翌年の1967年に制作、放送された『ウルトラセブン』でもほぼ同様の役柄であるウルトラ警備隊のフルハシ隊員として出演した[4]。『ウルトラマン』と『ウルトラセブン』の両方に起用された理由について、毒蝮は「輝いてるって言うのと同時にね、丈夫で安いんですよ(笑)。病気をしないんです」[7] と述べている。 『ウルトラマン』放映中の1967年に『笑点』の当時の司会者立川談志の誘いにより、同番組に座布団運びとして出演[8]。「何で正義の味方が座布団運びやってんだ」といった苦情などがTBSテレビの方に入っていることを聞き、『笑点』で芸名を付けようという展開に至った[9][4]。「毒蝮」という芸名は、談志が「怪獣ドラマに出演しているなら怪獣風の芸名にした方が良い」「怪獣にも負けないような名前で、蝮ってのはどうだ?」と名付けたもの。談志は石井が就任した当初から「マムシ」と呼んでいたが、当時大喜利メンバーの1人だった5代目三遊亭圓楽が「ただのマムシじゃ面白くねぇ、毒を付けろ」と発言したのを談志が気に入り、定着させた。また下の名前の「三太夫」は『笑点』より前に出演していた『談志専科』という番組で石井が家老・田中三太夫役に扮し、殿様役の談志と社会風刺や世相巷談を繰り広げていたことが元で命名された[9][4]。
概要
来歴