毒草
お品の巻 / 疑獄の巻 / お仙の巻
著者菊池幽芳
発行日1916年 - 1917年 全3巻
発行元至誠堂書店
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『毒草』(どくそう)は、1916年(大正5年)に発表された菊池幽芳による日本の小説であり、同作を原作とし、1917年(大正6年)に小林商会、天活、日活向島の3社が競作で、1931年(昭和6年)に新興キネマが、1937年(昭和12年)に大都映画がそれぞれ製作・公開した日本のサイレント映画である。 小説『毒草』の初出は、菊池幽芳の勤務先が発行する『大阪毎日新聞』、および『東京日日新聞』紙上で、1916年(大正5年)に掲載された。同年から翌1917年(大正5年)にかけて、至誠堂書店
目次
1 略歴・概要
2 フィルモグラフィ
3 1917年 小林商会版
3.1 正篇
3.1.1 スタッフ・作品データ
3.1.2 キャスト
3.2 続篇
3.2.1 スタッフ・作品データ
3.2.2 キャスト
4 1917年 天活版
4.1 スタッフ・作品データ
4.2 キャスト
5 1917年 日活向島版
5.1 スタッフ・作品データ
5.2 キャスト
6 1931年版
6.1 スタッフ・作品データ
6.2 キャスト
7 1937年版
7.1 スタッフ・作品データ
7.2 キャスト
8 ビブリオグラフィ
9 註
10 外部リンク
略歴・概要
菊池の小説は、『己が罪』(1899年 - 1900年)、『乳姉妹』(1903年)と発表されるたびにベストセラーになり、「家庭小説」のジャンルを確立したと言われ[2]、初期の日本映画において多く映画化された[3]。
1917年(大正6年)には小林商会、天然色活動写真(天活)、日活向島撮影所の3社が競作で製作を開始、それぞれ、同年3月11日に同日公開された[3]。同日の浅草公園六区では、三友館では小林商会の『毒草』、大勝館では天活の『毒草』、オペラ館では日活向島の『毒草』をそれぞれ上映するという状態になった。
1931年(昭和6年)には、新興キネマが曽根純三を監督にリメイクし、1937年(昭和12年)には、大都映画が吉村操を監督にリメイクした[3]。いずれもトーキーの時代に入っていたが、サイレント映画として製作されたので、本作を原作にした映画は、サイレント映画のみとなった。映画『毒草』は、いずれのヴァージョンも、東京国立近代美術館フィルムセンターに所蔵されていない[4]。
小説『毒草』は、2009年(平成21年)11月現在、1924年(大正13年)版の全集の復刻である、1997年(平成9年)版以外は、すべて絶版である。青空文庫にも収録されておらず、国立国会図書館の「近代デジタルライブラリー」にも収録されていない[5]。 ⇒ #ビブリオグラフィ 配役の変遷を中心にした映画化の一覧[6]。
フィルモグラフィ
1917年毒草天活川口吉太郎桜井武夫熊谷武雄村田正雄東猛夫村田高一国松一志賀靖郎
1917年毒草日活向島小口忠立花貞二郎大村正雄五月操二島竹松水島亮太郎藤川三之助横山運平
1931年毒草新興キネマ曽根純三森静子津村宏中川芳江徳川良子杉狂児小阪信夫松本泰輔
1937年毒草大都映画吉村操琴糸路
1917年 小林商会版
正篇
配給 小林商会
公開 1917年3月11日
製作国 日本
言語日本語
次作毒草
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『毒草』(どくそう)は、1917年(大正6年)製作・公開、井上正夫監督による日本のサイレント映画、女性映画である。井上が老婆のお源役で主演し、脚本を書いた栗島狭衣も出演している。栗島は栗島すみ子の父である。特筆すべきは、のちの松竹蒲田撮影所の女優・葛城文子が、「映画女優第一号」とされる花柳はるみの『深山の乙女』(監督帰山教正、1919年)よりも2年早く、映画に出演していることである。葛城は当時、井上の女優劇や連鎖劇に出演していた[7]。