株式会社毎日新聞社
The Mainichi Newspapers Co., Ltd.
毎日新聞東京本社(パレスサイドビルディング)
種類株式会社
本社所在地 日本
〒100-8051
東京都千代田区一ツ橋一丁目1番1号(パレスサイドビルディング)
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度41分27.5秒 東経139度45分26.7秒 / 北緯35.690972度 東経139.757417度 / 35.690972; 139.757417座標: 北緯35度41分27.5秒 東経139度45分26.7秒 / 北緯35.690972度 東経139.757417度 / 35.690972; 139.757417
設立1918年(大正7年)12月21日
創刊 1872年3月29日(明治5年2月21日)[注 1]
業種情報・通信業
法人番号2010001029969
事業内容新聞・雑誌・書籍等の発行印刷・販売業
代表者代表取締役社長執行役員 松木健
資本金1億円(2021年以降)
発行済株式総数830万株
売上高595億2,300万円(2023年度)[1]
従業員数約1,900人(2021年度)
決算期3月31日
主要株主毎日新聞グループホールディングス 100%
外部リンクwww.mainichi.co.jp
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毎日新聞大阪本社(毎日新聞ビル 大阪市北区)毎日新聞中部本社(ミッドランドスクエア 名古屋市中村区)
株式会社毎日新聞社(まいにちしんぶんしゃ、英: The Mainichi Newspapers Co., Ltd.)は、全国紙『毎日新聞』を発行する日本の新聞社。ニュースサイトの「毎日新聞デジタル」の運営も行う。大阪毎日新聞と東京日日新聞を源流とし、1970年代までは本社と本店を大阪に置いていたが、その後東京に移転した。選抜高等学校野球大会(春の選抜高校野球)などのスポーツや文化事業の企画開催も行なっている[2]。
毎日新聞グループホールディングス(毎日新聞GHD)傘下の中核事業会社である。株式会社毎日新聞社と名乗る企業名は通算3代目(現在のそれは、毎日新聞GHDの設立後に新たに設立されたもの)である。
主な事業所
東京本社(登記上の本店):東京都千代田区一ツ橋一丁目1-1 パレスサイドビル
北海道支社:北海道札幌市中央区北4条西6丁目1 毎日札幌会館
大阪本社:大阪府大阪市北区梅田三丁目4-5 毎日新聞ビル
中部本社:愛知県名古屋市中村区名駅四丁目7-1 ミッドランドスクエア
中部本社ささしまオフィス:愛知県名古屋市中村区平池町4-60-12 グローバルゲート
西部本社:福岡県北九州市小倉北区紺屋町13-1 毎日西部会館
福岡本部:福岡県福岡市中央区天神一丁目16-1 毎日福岡会館
社章
「大」の字を星形にかたどり、その中央に「毎」の字を丸で囲んだものを配したもの。大阪毎日新聞社時代の1897年3月31日に制定され、1991年11月4日まで使用された。
1991年11月5日以降はコーポレート・アイデンティティを導入し、目と星を組み合わせたシンボルマーク「毎日の目」を制定し、使用している。
毎日新聞社・旧社章(同社ホーロー看板より、1897年?1991年)
毎日新聞社・社章(同社ホーロー看板より、1991年?)
社旗
1991年11月5日の題字変更以前は、白地で、上部中央に毎日新聞社の旧社章(上述の星を象ったもの)を配し、赤の二本帯線を背後に引いた意匠であった。二本帯線は雲を表し、星は文化の明星を表すとされた。下部は明朝体の「毎日新聞社」となる場合や、題字と同じ毛筆(隷書体)による「毎日新聞」となる場合があった。
題字変更後は、現代の知性を代表するとされるインテリジェント・ブルー(水色)を基調としており、題字とほぼ同じように両サイドに「毎日の目」を配し、それをはさむ形で「MAINICHI」、中央にアンダーライン(白)をはさんで、明朝体で毎日新聞と表記するものである。
沿革「毎日新聞」、「東京日日新聞」、および「大阪毎日新聞」も参照
1872年 - 「東京日日新聞」創刊。
1876年 - 「大阪日報」創刊。
1882年 - 「大阪日報」の身代わり紙として「日本立憲政党新聞」(後の「大阪毎日新聞」)創刊。
1943年 - 「東京日日新聞」と「大阪毎日新聞」が題号を統一[注 2] して、「毎日新聞」となる。
1950年7月28日 - 各報道機関でレッドパージが始まる。毎日新聞社の初日の解雇者は49人[3]。
1977年11月4日 株式会社毎日新聞社(法人登記上初代。旧大阪毎日新聞社。本店・大阪市。資本金1億5千万円)は、経営悪化のため新旧分離による再建を実施。下野新聞、スポーツニッポン新聞東京本社や従業員持株会、主要販売店、東京放送(現・TBSホールディングス)、毎日放送、三和銀行や三菱銀行(メインバンク。いずれも現在の三菱UFJ銀行)などの40億円出資による毎日新聞株式会社を東京に設立。
1977年12月1日 - 株式会社毎日新聞社は毎日新聞株式会社に新聞発行権を譲渡して株式会社毎日に商号を変更。
毎日新聞株式会社はこれを受けて株式会社毎日新聞社(法人登記上2代目)に改称。従業員も引き継ぐ。株式会社毎日より設備一切を賃借して新聞の編集発行を開始。
1985年10月 - 株式会社毎日の債務返済が一段落し、同社を存続会社として合併(商法上の本社は東京本社とした)。再建に一応の目途を付ける。日本の主要新聞で資本金が最多であり、発行部数では業界3位の約340万部で読売新聞社(約1000万部)・朝日新聞社(約800万部)に大きく水をあけられても十分な経営が成り立っているのはこのためである(業界4位は中日新聞社)[4]。
2011年4月1日 - 子会社の株式会社スポーツニッポン新聞社と共同で株式移転を行い、共同持株会社の毎日・スポニチ持株移行株式会社(現・毎日新聞グループホールディングス)を設立して、その完全子会社(株式会社毎日新聞社としては3代目)となる。