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出典検索?: "毎日新聞東京本社"
毎日新聞(東京)
MAINICHI
種類日刊紙
サイズブランケット判
事業者(株式会社毎日新聞社(初代)→)
(毎日新聞株式会社→)
株式会社毎日新聞社(2代)
本社(東京府東京市麹町区有楽町1-2[注 1]→)
(東京都麹町区有楽町1-2→)
(東京都千代田区有楽町1-2→)
(東京都千代田区竹平町1→)
東京都千代田区一ツ橋1-1-1
代表者松木健(代表取締役社長)
創刊1943年(昭和18年)1月1日
前身東京日日新聞
(1872年2月21日 - 1942年12月31日)
時事新報
(1882年3月1日 - 1936年12月24日)
言語日本語
価格1部 朝刊140円、夕刊50円
月極
【紙版】
朝夕刊セット4,400円
統合版3,400円
毎日小学生新聞とのセット5,550円
【紙版+電子版】
宅配購読者無料プラン4,400円
宅配購読者プレミアムプラン4,950円
【電子版単独】
スタンダードプラン1,078円
プレミアムプラン3,520円
ウェブサイトhttps://mainichi.jp/
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毎日新聞東京本社(まいにちしんぶん とうきょうほんしゃ)とは、関東と東北・甲信越及び静岡県向けに毎日新聞を発行する毎日新聞社の地域本社である。同社の支社として、北海道札幌市に毎日新聞北海道支社を置いている。
1872年(明治5年)2月21日に創刊された『東京日日新聞』(とうきょうにちにちしんぶん)を源流とし、現存する日本の新聞社では最古の歴史を持つ。
歴史
1872年2月21日 浅草茅町にあった「日報社」が「東京日日新聞」を創刊。
1906年 大阪毎日新聞社が東京の「電報新聞」を買収し「毎日電報」に改題。
1911年 大阪毎日新聞社が日報社を買収。大阪毎日新聞社東京支店が「東京日日新聞」を承継。同時に同紙は「毎日電報」を吸収。
1936年12月25日 「時事新報」を合同[注 2]。
1943年1月1日 題字を「毎日新聞」に統一。編集機能を東京に集約統合して、正式に全国紙となる。なおこの後暫くは、題字の上に東京日日改題の文字があった。
1952年 共同通信社を脱退。
1959年 毎日新聞北海道支社(札幌市)発行開始
1966年 社屋を有楽町から一ツ橋(竹橋)にあるパレスサイドビルディング(毎日ビルディング東京本社所有)へ移転。
1977年 経営不振のため、毎日新聞社を「新旧分離」方式で再建する方針を決める。旧毎日新聞社(登記上の本社・大阪市)は「株式会社毎日」として負債整理に当たり、新聞・雑誌・書籍発行などの通常の新聞社としての業務は新たに「毎日新聞株式会社」(後に「株式会社毎日新聞社」。登記上の本社・千代田区)が行うことになり、全従業員は旧社から新社へ移籍して引継ぎ、また社屋や印刷施設なども旧社からの賃貸という形で新社がそのまま使用する形を採用した。
1985年 会社の負債返済がほぼ終結したとして、旧社が新社を吸収合併する形(登記上社名・株式会社毎日新聞社、登記上本社・千代田区)で再統合。
1987年8月30日 紙齢40,000号。
1991年11月5日 従来の梅の地紋を使用した題字から、青地に白文字明朝体の現在の題字に変更
2008年8月31日 北海道支社の夕刊を休刊。大手全国3紙の大都市圏向けセット版の地域では初めての夕刊休刊[注 3]
2010年4月1日 共同通信社に再加盟。また共同通信加盟地方紙との包括連携を実施。
2016年3月31日 この日を以て山梨県に於いての夕刊の発行を終了。
2021年7月4日 1日の値上げと同時に日曜版のレイアウトリニューアルを行った。通常の「青地に白文字明朝体」の題字に代わり、読売新聞のように横一列の表記、英字はその下に配置し、左右を毎日の目のシンボルで挟む形に。その右に走り書きで"Sunday"を配置。これは記者が余白に走り書きするイメージがあり、「カジュアルに平日とは違うひと時を読者に感じてほしい」という願いを込めたという。また、NEWS LINEはなくなり、左上に2項目、そのほかのメニューをいつも通りに配置している。
事業所毎日新聞東京本社毎日新聞北海道支社
本社 東京都千代田区一ツ橋一丁目1-1 パレスサイドビル 〒100-8051
北海道支社 北海道札幌市中央区北4条西6丁目1 毎日札幌会館 〒060-8643
変遷
1872年2月21日 東京府浅草茅町一丁目24番地(創業者の一人である条野伝平宅。現在の東京都台東区柳橋一丁目13)
1872年3月12日 東京府日本橋元大坂町新道(現在の東京都中央区日本橋人形町一丁目の北部)
1873年2月25日 東京府浅草瓦町16番地(創業者の一人である西田伝助宅。現在の東京都台東区柳橋一丁目32。跡地はワコール浅草橋ビル)
1874年5月11日 東京府銀座二丁目3番地(現在の中央区銀座二丁目6)
1876年12月31日 東京府尾張町一丁目1番地(現在の中央区銀座五丁目1、EXITMELSA所在地)
1878年11月2日 東京府京橋区尾張町一丁目1番地(区制施行。上記と同一住所)
1889年5月1日 東京府東京市京橋区尾張町一丁目1番地(市制施行。上記と同一住所)
1909年3月31日 東京府東京市麹町区有楽町一丁目2番地(現在の新有楽町ビルヂング所在地)