毎日放送千里丘放送センター
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毎日放送千里丘放送センター(2008年3月1日撮影)解体後の状況を同じ方向より撮影(2010年3月16日撮影)

毎日放送千里丘放送センター(まいにちほうそう せんりおかほうそうセンター)は、大阪府吹田市千里丘北1-1に所在していた毎日放送(MBS)のテレビおよびラジオスタジオである。

かつてはMBSの実質的中枢であったが、その機能は1990年9月1日大阪市北区茶屋町に新築された本社へ移転した。その後、施設の老朽化や管理部門の統廃合方針などから2007年7月31日をもって閉鎖された。
概要

茶屋町に本社が移転するまでは大阪市北区堂島1丁目の毎日大阪会館北館に登記上の本社(総務、営業、経理など企業運営部門)を、千里丘に電波法上の演奏所を置いていた。別名「毎日放送千里丘スタジオ」「MBS千里丘スタジオ」とも呼ぶ。

JNN系・TBS系列局で本社演奏所以外にこのような放送施設を所有しているのは他にはTBSホールディングス(TBSHD)のみ(横浜市青葉区に所有している「緑山スタジオ・シティ[1]東京都世田谷区の『東京メディアシティ』内にある「TBS砧スタジオ」)だった。ただ、「MBSスタジオ in USJ」が完成した2001年以降は茶屋町本社とUSJスタジオに移行しており、当センターはほとんど機能していなかったが、茶屋町本社が万が一送出不能になった場合に備えた予備系として残していた。

ラジオ第1スタジオは音楽レコーディングのスタジオとしても使われていて、加山雄三のヒット曲「君といつまでも」がレコーディングされたスタジオとしても知られている。その後大西ユカリらも使用していた。

また、茶屋町本社移転前はテレビの放送開始・終了時[2]の映像にて当所が映し出されていた。
歴史竣工当時の姿(1961年ごろ)

当時、MBS専務だった高橋信三(のちに社長・会長を歴任)が1950年代後半に4か月間、アメリカ放送局を視察し、ワシントンD.C.の郊外にあるNBCの放送センター(現在は解体済み)にヒントを得て、日本にも市街地の郊外に放送センターをつくろうと大阪市郊外の千里丘陵にスタジオを建設することを計画。当時の千里丘陵は草や木が多く繁っていたが、千里ニュータウンの建設や日本万国博覧会1970年開催)の会場にも内定していたことから新たな街づくりが進んでいた。

千里丘放送センターは1960年に完成、鉄筋コンクリート2階建てで事務所棟とスタジオ棟(スタジオ数:テレビ4、ラジオ8)からなり、1961年から運用を開始した。大阪市内にあったMBSのほとんどの部署が移転し、MBSの実質的な中心施設としての機能を持っていた。完成当時は教育局だった日本教育テレビ(NETテレビ。現・テレビ朝日)とネットを組んでいた事から、自らキー局となって発展しようとした将来展望を見据えて設計され、在阪局では局舎が小さいものの東京キー局に勝るとも劣らない規模と最新鋭の設備を誇った。1969年9月1日には増設で「ミリカホール」が完成する。なお、完成から14年後の1975年3月31日にMBSはテレビ系列の腸捻転解消によりTBS系列(JNN)にネットチェンジした[3]

2001年3月31日スタジオ in USJへの移転以来、業務をラジオの収録や放送番組の記録保存業務に縮小し、2007年(平成19年)1月に現状のゴルフセンターと新設される千里丘ミリカセンターの敷地を除く千里丘放送センターの全敷地を大手不動産会社5社の企業連合に売却したと発表した後、2007年7月16日のラジオ特番を最後に当センターからの電波送出は事実上終了し、同月31日に施設そのものも閉鎖され、46年の歴史に幕を閉じた。なお、跡地には大規模なマンション「ザ・ミリカシティ(ミリカ・ヒルズ及びミリカ・テラス)」と吹田市立千里丘北小学校(2015年4月開校)の学校施設が建設された[4]
スタジオ

スタジオ棟にテレビ4、ラジオ8のスタジオが構成されていた。
テレビスタジオ

Aスタジオ(約383u)

Bスタジオ(約185u)

Cスタジオ(約185u)

Dスタジオ(約406u)

ラジオスタジオ

第1スタジオ(約197u)

第2スタジオ(約60u)

第3スタジオ(約49u)

第4スタジオ(約15u)

第5スタジオ(約15u)

第6スタジオ(約20u)

第7スタジオ(約10u)

第8スタジオ(約10u)

番組に対する宛先

1990年に茶屋町本社へ移転するまでの、番組に対する宛先は「〒565 大阪・吹田千里局 毎日放送 (番組名)係」と知らせていた。ただし、『アップダウンクイズ』は千里丘ではなく、スポンサーであるロート製薬本社と同じ「〒544 大阪・生野局私書箱1号 ロート製薬 アップダウンクイズ係」だった。これはロート製薬と繋がりが深かった広告代理店の萬年社(1999年に自己破産)が募集等を請け負っていたためである。

また、同じく毎日放送制作TBS系全国ネット番組でも、『世界まるごとHOWマッチ』『世界まるごと2001年』の番組中程(ただし後者はエンディングのスタッフロール表示直前)と最終盤にあった視聴者向けのプレゼントクイズでさえ、世界まるごとHOWマッチ#視聴者プレゼントの項でも触れている通り、東京支社制作の番組として扱われていたことから、応募の際は当時の本社を管轄していた吹田千里局宛ではなく、東京支社を管轄している芝郵便局私書箱4号宛に郵送すべき旨のテロップが最終盤にて表示されていた。


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