母
Мать
ポスター
監督フセヴォロド・プドフキン
脚本ナターン・ザルヒ
マクシム・ゴーリキー (原作)
出演者ヴェラ・バラノフスカヤ
ニコライ・バターロフ
『母』(はは、露: Мать、ラテン語表記:Mat)は、1926年に制作されたソビエト連邦の映画。原作はマクシム・ゴーリキーの小説『母』(1906年)。監督はフセヴォロド・プドフキン。ロシア第一革命時、ツァーリ支配に抵抗した一人の女性を描く[1]。『聖ペテルブルクの最後』(1927年)[2]、『アジアの嵐』(1928年)へと続くプドフキンの「革命三部作」の第1作[3]。
1968年、モスフィルムによって復元が行われ、新たにティホン・フレンニコフの音楽が加えられた[4] 帝政ロシア期、ペラゲーヤには飲んだくれの夫ウラーソフと、真面目な息子パーベルがいた。息子は労働者運動に身を投じ、一方、夫はそれに敵対するスト破りの仲間に入る。ある日、工場で両者は衝突、ウラーソフは射たれて死んでしまう。自宅に武器を隠し持っていたという理由でバーベルが逮捕される。茶番のような裁判の末、息子は懲役刑に処せられる。母親は現実を学び、革命運動に参加。数百人のデモ隊と一緒に刑務所に押し寄せる。囚人たちが解放され、母子は再会するが、皇帝軍の鎮圧によって母子とも殺されてしまう。 プドフキンはその著書『プドフキン映画創作論』『プドフキン映画俳優論』の中でこう書いている。「私は初期の作品『母』において、観客に感動を与えようと試みた。俳優の心理的な演技ではなく、編集でプラスチックを統合することによって」[5]。 映画監督グリゴリー・ロッシャリーはプドブキンの革新的なスタイルを称賛している。「映画のモンタージュを用いて性格描写を生み出すというアイディアを導入したはじめてのもの。ディケンズが小説でやったことを、彼は映画でやってしまった」[6]
あらすじ
キャスト
母・ペラゲーヤ - ヴェラ・バラノフスカヤ
息子・パーベル - ニコライ・バターロフ
夫・ラーソフ - アレクサンドル・チスチャコフ
息子の恋人・アンナ - アンナ・ゼムツォワ
警官 - フセヴォロド・プドフキン
スタイル
脚注^ Roger Manvell (1955). The Film and the Public
^ ⇒聖ペテルブルクの最後(アテネ・フランセ文化センター)
^ ⇒Мать VokrugTV
^ ⇒"Tikhon Khrennikov ? Works" Archived 2008-09-18 at the Wayback Machine.
⇒"Музыка к фильмам" (film music) Archived 2014-03-17 at the Wayback Machine., Tikhon Nikolaevich Khrennikov home page (ロシア語)
^ Vsevolod Pudovkin (1954). Film technique and Film acting. The cinema writings of V.I. Pudovkin. Vision Press Limited. p. xvii. https://archive.org/stream/filmtechniqueact00pudo#page/n22/mode/2up
^ Roger Manvell, ed (1949). Experiment in the Film. The Grey Walls Press Ltd.. pp. 157?159. https://archive.org/stream/experimentinfilm00unse#page/157/mode/2up
外部リンク
⇒母 - KINENOTE
母 - IMDb(英語)
母 - インターネット・アーカイブ
母 - インターネット・アーカイブ
母 - オールムービー(英語)
典拠管理データベース
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