殉職
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警視庁及び東京消防庁の殉職者を祀る弥生慰霊堂軍人・軍属等を祭る靖国神社神奈川税務署員殉職事件で殉職した税務官の慰霊碑

殉職(じゅんしょく)は、職務中に何らかの原因で死亡すること。労働災害公務災害による死亡事故の、別表現。
概要

警察官[1]消防官自衛官海上保安官などの公務員が職務・業務中の事故などが原因で死亡した場合に、殉職と呼ばれることが多い。また、かつては船舶艦船船長艦長沈没時には最後に退船したり、時には沈没をする船と運命を共にしたりすることが慣例化されており、その時に救助を拒否し死亡または自殺した場合には、殉職と表現されることがある[2]

一般企業工場においても、勤務・作業中の事故が原因で死亡した場合は殉職と呼び、この場合産業殉職者として顕彰会が建つ。大規模な土木工事では、黒部ダムで171名、東海道新幹線で210名、青函トンネルで34名など、多数の殉職者が出た。このような場合、完成後に施設近辺に慰霊碑を設ける事例も多い。また、労働安全が労働省(現厚生労働省)の取締りの所管外となってしまった鉱山業界においては、多数の殉職者をだす事故が度々発生した。特に石炭採掘では、坑内火災やガス中毒によって時に一度の事故で100名を超える殉職者を出すこともあり、石炭採掘の斜陽化に拍車をかけた。炭鉱事故の殉職者の中には、火災やガスの充満などで救出が困難により、坑内に置き去りとなった者もいる。また、それぞれの職種ごとに遺児への教育資金援助や慰霊式典を行なうため、殉職者の顕彰会が設けられている。

1947年神奈川税務署員殉職事件後には、特殊な第三国人等に対する検査調査を行う税務職員への特別手当を支給することとする法案が出されるなど、殉職者が出ることによって一定の是正措置が取られることもあった[3]

特殊な例としては、国内・国外で取材を行っていたジャーナリストが、テロリストやその国の軍隊に殺された例も殉職として扱われることがある(Category:殺害されたジャーナリストの項目も参照)。

「病死」の場合は殉職扱いとはならないが例外もある。

広島県の場合、広島市への原子爆弾投下で警察官と警察事務職員ら233人が即死し、その後も原爆症により病死する者が1946年までに119人いたが、これらは殉職として扱われた[4]。その後も何例かあり、被爆から19年後の1964年12月に原爆症で死亡し一階級昇進で警部になった者もいる[5][6]

長崎県においても長崎市への原子爆弾投下があったため同様の例がある。

1993年8月6日JR九州日豊本線竜ケ水駅において土石流が迫り来る中で[7]、JR九州の乗務員らが、停車中の列車から乗客約330人を安全な場所まで避難させたが、救助に当たった乗務員の1人が気管支喘息発作を起こし、3週間後に死亡し、これが労働災害(労災)として認定された事例がある[8]竜ケ水駅#1993年8月6日の水害による影響も参照)。

これらの事例は、いずれも公務・業務の遂行中に被爆あるいは発症したその因果関係が明確なためである。
二階級特進

自衛官・警察官・消防吏員・海上保安官・刑務官・入国警備官といった職務階級が明確な職業において、殉職に伴って在職階級から二段階昇任させる制度または慣行で、名誉・叙勲・その他の遺族に対する補償も進級した階級に基づきなされる。

この結果「二階級特進」が、しばしば「殉職」を表わす別称とされている。

特進とはかつての日本軍における軍人の「特別進級」の略称であり、現行憲法下の公務員の階級が上がることを昇任ということに照らせば不自然だが通俗的には特進という用語が用いられている。

なお、警察官の場合、巡査(-巡査長) - 巡査部長 - 警部補 - 警部 - 警視 - 警視正 - 警視長 - 警視監 - 警視総監という階級構成で、巡査のみ2階級上の特進先は巡査部長ではなく警部補となる。これは巡査長が階級的職位にすぎず、階級上は巡査と同格だからである。

ただし、近年の職務執行中の交通事故による殉職(取締活動中に前方不注意の自動車にはねられ死亡)の場合には、大半が1階級のみの昇任にとどまるとされている。

このほか、警視長が殉職し警視総監に特進した例は確認されていない。これは、警視以上は上級管理職で、最前線に出る例が非常に少ないためである。

特進については、日本軍において功績顕著な戦死者を二階級特進させた例に倣ったものである。

また、死亡退職金遺族年金では、特進後の階級を基準とするため、算定にあたり遺族にとっても金銭面での待遇が有利になるという側面もある。

元々戦死者を進級させる習慣は無かったが、日露戦争において軍神とされた広瀬武夫海軍少佐橘周太陸軍少佐が、死後それぞれ中佐に一階級進級したのが始まりとなった。

その後、第一次上海事変における爆弾三勇士を顕彰するため3人を二階級特進させ、それ以降、功績抜群の戦死者は全軍布告の上二階級特進という例ができた。また、1941年からは戦死と限らず「全軍に感動せしめる武功」を立てた者は下士官、兵であっても二階級特進が可能となる制度もできた[9]

なお、戦死にあたっては、部内で進級の要件と規定されている、当該階級での勤務年数である「実役停年」を満たしていないものでも必ず進級するとは限らなかった。

また、大佐中将になる例は少なく、将官には二階級特進が認められていないため少将大将に進級する例はなかった。

海軍では大将が戦死した場合には元帥の称号を与えた例がある(旧日本軍には他国と違い元帥の階級が明治時代に廃止されたため存在せず、以降は「元帥」は陸海軍大将に与えられる称号としてのみ存在した)。戦後の自衛隊では追加の称号授与は行われていない。

旧陸軍では下士官の航空特攻での戦死者には@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}最大「四階級特進」まで規定されていた(陸軍伍長から陸軍少尉へ)[要出典][注 1]

しかし、テストパイロットの殉職など訓練中・公務中の死亡である殉職と、戦闘での死亡である戦死とは明確に一線を画しており、外地で公務中に死亡するなど戦死に準ずると判断された場合を除いては、殉職者は最大でも一階級昇進どまりであり、二階級特進した例はない。

第二次世界大戦中には、大学などの研究機関も「科学戦」を行っているとして研究者が二階級特進した例がある。1944年8月に実験中に事故で死亡した東京帝国大学理学部の助手の例では、大学助手判任官から助教授に任官、高等官六等に叙せられた[11]

自衛官が殉職した場合は「特別昇任」として一階級もしくは二階級昇任することが多い。朝霞自衛官殺害事件で殉職した一場哲雄士長二曹に二階級特進した。

2003年11月29日、日本政府はイラクにおいてテロリストにより射殺された日本大使館外交官参事官・三等書記官の2名)に対して二階級特進に相当する職階の昇進(参事官→大使・三等書記官→一等書記官)を行った。

国家公務員を見渡しても警察官・自衛官・海上保安官・刑務官・入国警備官以外には職務階級制度そのものが存在しないこともあり、外交官では前例のないことであったが、これは任地のカントリーリスクが際立って高い状況などを勘案してのものであったといえる。
特進した例


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