死者の書_(古代エジプト)
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フネフェルのパピルス』(紀元前1275年頃)から「心臓の計量」の場面。

死者の書(日下出現の書)
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死者の書(ししゃのしょ、: Totenbuch、: Book of the Dead、アラビア語: ???? ??????‎、アラビア語エジプト方言: ???? ???????‎)は、古代エジプトにおいて新王国時代(前16世紀)以降に作られた葬礼文書のこと。同時期の墳墓における副葬品の1つで、一般にパピルスに書かれたものを指す。その内容は、エジプト神話死生観に基づき、死者が冥界ドゥアト)を通過する際の注意点や、魂の個々の要素を保存・保護する方法などを多数の祈祷文や呪文という形で記した葬送儀礼である。なお、「死者の書」という呼称は、19世紀のドイツプロイセン)のエジプト考古学者カール・リヒャルト・レプシウスが名付けた近代以降のものであり、エジプト語では日本語に直訳した場合「日下出現の書」などと呼ばれるものである。

もともと「死者の書」の内容に相当する葬礼文書は、紀元前3千年紀には存在していた。これら文章は古王国時代末期には王墓(ピラミッド)の壁面に(ピラミッド・テキスト)、中王国時代は柩(コフィン)に書かれていたもの(コフィン・テキスト)であった。本来は神の化身たる王(ファラオ)が、死後に神々の世界で生活することを祈念するものであったが、時代が下がるにつれ、王朝の高官や裕福な市民にも用いられるようになり、死者を包む亜麻布(リネン)に葬礼文書が書かれ、最終的にパピルスに書く形式が確立した。「死者の書」に収録された呪文は後代に新しく追加されたものもあったが、ピラミッド・テキストやコフィン・テキスト時代に作成されたものも多かった。

「死者の書」には原典正典は存在せず、個々に異なる。現存するパピルスには様々な宗教文書や魔術文書が含まれ、その挿絵も個々に大きく異なる。おそらく埋葬者が自分の死後に必要と思われる祈祷文や呪文を取捨選択し、独自のものを作成依頼していたと推測されている。他方で古代エジプト末期には故人の名前を書き入れるだけの量販品もあった。一般的な「死者の書」はヒエログリフヒエラティック(神官文字)で書かれ、死後の世界の旅を描いた挿絵が含まれるものもよくあった。「死者の書」に収録された祈祷文や呪文は現代では内容に応じてナンバリングされているが、これは後世に付けられた便宜的なものである。日本語では一般に「章」付けで呼ばれるが、ある「死者の書」に「死者の審判」を扱った125章が記述されているからといって、その前の1から124章もすべて収録されていることを意味しない。統一的な順序や構成すら「死者の書」の使用の歴史では末期に出来上がったものであった。
名称について

「死者の書」(英:Book of the Dead)という名前は、19世紀のドイツプロイセン)のエジプト考古学者カール・リヒャルト・レプシウスが学術的に命名した呼称であり(独:Das Todtenbuch)、古代エジプトでの呼び名にはそのような意味はなかった。「死者の書」を意味するヒエログリフラテン文字化すると「Rw Nw Prt M Hrw」(読みは「ル・ヌ・ペレト・エム・ヘル」または「ペレト・エム・ヘルゥ」)となり、これを日本語に直訳すると「日下出現の書」または「日のもとに出現するための呪文」となる[1]
発展と歴史「死者の書」の前身となるピラミッド・テキストの写真。第6王朝テティ王の墳墓より。『アニのパピルス(英語版)』より第17章。上部の挿絵は左から順に、原初の海を表すヌン、オシリスの領域への入り口、ホルスの目、天上の牛メヘト・ウェレト(英語版)、ホルスの4人の息子たちに守護された人間の頭部を示している[2]ブルックリン美術館に収蔵されている Sobekmose の「死者の書」。
「死者の書」以前の様式


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