死者の家から
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プラハ国立劇場での公演ポスター、2015年.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}関連ポータルのリンク

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『死者の家から』(ししゃのいえから、チェコ語: Z mrtveho domu)は、レオシュ・ヤナーチェク作曲の全3幕のチェコ語オペラで、ロシアの作家フョードル・ドストエフスキー小説死の家の記録』(1862年)を原作としている。リブレットは、ヤナーチェク自身が作成した。『死の家より』などとも表記される。1930年4月12日にブルノ国民劇場(チェコ語版)にて初演された[1][注釈 1]
概要

ヤナーチェクの作曲したオペラ9作品の最後の作品にあたり、作曲は1927年2月から1928年6月末の間に行われた。彼は同年8月12日に死亡したため、初演には立ち会えなかった[2]。弟子のブルジェティスラフ・バカラとオズワルト・フルブナ(英語版)はいくぶん室内楽的オーケストレーションに不満を持ち、初演を前に彼らは改訂を施した。彼らはオーケストレーションを補筆し、オリジナルの不気味な行進曲に代え、〈楽観的な〉結末(合唱による自由の賛美が聞かれる)を加えた。これ以降はしばらく概ねこの補筆を受け入れた上演が続いた。この版は〈ブルフナ=バカラ版〉と言われる。しかし、1961年ラファエル・クーベリックミュンヘンで本作を上演した際には、ほぼ原典に基づいた稿で行われた[2]1964年にはユニヴァーサル社からボーカル・スコアに本来の結末が付録として付加され、2017年チャールズ・マッケラスとジョン・ティレル(英語版)によって編集されたクリティカル・エディションが発行されている[3]。ヤナーチェクはスコアの表紙に「どのような人間にも神聖な閃きある」とこの本作のテーマを記している[4]。また、ヤナーチェクはこの原作に彼が魅了された理由を個人の主役というものが存在しないからだと述べている[5]

『新グローヴ オペラ事典』によれば「本作はヤナーチェクのオペラの中でも最も風変わりで、そして恐らく最も優れたものであり、その音楽には作曲者本人も驚かせるほどの推進力がみなぎっている。このオペラに筋らしい筋はなく(ゴリャンチコフの到着と出発がささやかな物語の骨格を提供している。)、少しだけ顔を出す売春婦とズボン役のアリイエイを除けば、女性はまったく登場しない。また、主役といった主役もいない。代わりに独唱者が合唱から抜け出し、また無名のひとりに戻って行く〈集合的な〉オペラである。にもかかわらず、このオペラは人の心を動かさずにはおかない舞台作品であり、ヤナーチェクのオペラの中でも最も力感に溢れた、けれども最も優しく、最も同情に満ちた作品である」[6]
音楽ヤナーチェク

本作の音楽的な面ではドイツの影響から完全に遠ざかっている。オーケストラの間奏や楽器法の手法では『ペレアスとメリザンド』から霊感を得ており、一方、第2幕の復活祭の鐘の音は『ボリス・ゴドゥノフ』の戴冠式の鐘の音に似ている。また、短い間だが囚人のルカの登場は、ロシアの不幸を予言する殉教者の嘆きを思い起こさせる。ムソルグスキーの影響は練り上げられた朗唱の様式にも見られる[7]

ピエール・ブーレーズは「演劇の形式からみても音楽の形式からみても、本作は言葉の最良の意味でプリミティヴな作品と言えるものである。例えば、管弦楽法はベルクの『ルル』に比べると非常に〈未精製〉であるが、それでいて力強い。この点で原始的なものが強烈な表現形式を生んでいるフェルナン・レジェのような画家とつながるところがある。スコアそのものに戻ると、ひとつのオスティナートから次のオスティナートへと、いかにリズムの記述が変遷していくのか、その論理を理解できない個所がたくさんある。あたかも途中で仕事を中断し、時を経て、視点を変えて再開したかのようだ」。―中略―「どのようなオペラでも、私はテキストを出発点と考えているが、ヤナーチェクの場合には明らかにテキストが最も重要である。伝統的な歌唱法が無いことがドビュッシーを想起させる。フランス語でドビュッシーが行ったことをヤナーチェクはチェコ語で行ったのである。初演の指揮者バカラ

ヤナーチェクが一般大衆の話し方を言葉が持つ〈メロディ〉と共に再生することに心を砕いていたことは、彼の著作からも知られている。彼の歌の特徴、即ち、話しているかのようなスタイルはこのことに起因している。音楽が文字通り叙情的になるのは民謡の影響の下に独自の表現を生み出している時である。―中略―プリミティヴな素材で立派な構造(重いが非常に堅固なもの)を作り出すことができるのである。ヤナーチェクはテーマを展開させると言うドイツ的な戦略には背を向けているのである。展開させるのではなく、逆に繰り返しに繰り返しを重ね、次にそのモティーフを、即ちオスティナートを変えるのである。―中略―形式的には複雑なところはなく、非常に直截的なので、ヤナーチェクが目指すものを見逃すことはない」と評している[8]

佐川吉男によれば「ヤナーチェクの作曲技法は本来少数の核となる動機から全曲を作り上げていくと言う手法である。しかし、ここで彼は個々の動きの変化と、その用途の幅を広げる手法をとっており、ワーグナーライトモティーフなどとの本質的な違いをいよいよ明らかにしている。同時にこれ以前の彼のオペラに比べると、異なる動機の間の横のつながりがやや薄くなっている点も目に付く。また、管弦楽法も楽器を減らして室内楽的表現に傾いていて、部分的には若干響きが薄くなり過ぎ、大劇場での演奏には不向きなふしもあるようだ」[9]という。
リブレット ドストエフスキー

永竹由幸は「まったくオペラになりそうもないこの原作をオペラ化しようとしたヤナーチェクの異常さと偉大さに敬服せざるを得ない。音楽は鋭く冴え切っている。ヤナーチェク晩年の最高傑作」と評している[10]

演出家のシェローは「本作はヤナーチェクが晩年になってようやく賛同するに至った音楽における表現主義に属する作品だと言われている。―中略―本作の台本には二、三の箇所を除けば原作から直接取られていない個所は、一行もない。一方、原作に準拠しつつも、その配列はある程度自由に行われている。例えば、第1幕で傷を負ったところを囚人たちに拾われ、フィナーレで傷が癒えて放たれる鷲の話は、小説では最後になって登場するものである。しかも小説においてはヤナーチェクが付与したような象徴的な意味はない。ヤナーチェクは一種のコラージュを、素朴でありながら見事なコラージュを作ることに心を砕いたのである。―中略―本作を演出する上での一番の難しさは、このオペラには物語がないと言う点ではなく、逆にあり過ぎると言う点にある。まずルカ、スクラトフ、シャプキン、シシュコフの語る4つの人生の断片がこのオペラの背景を形成している。加えて、ゴリャンチコフとアリイエイヤがいる。―中略―ヤナーチェクによって描かれた監獄は、現代のすべての監獄を思い起こさせるもので、19世紀後半のシベリアの懲罰収容所だけを問題にしているのではないと考える。監獄と言う共同体では権力を求める闘いは熾烈で、情念と嫉妬、憎しみを伴うが、時として囚人間でのいくつかの関係は優しいものにも見える。だが、監獄では友情も葛藤も、結局のところ孤独で粗暴な振舞いに帰結する。希望は〈死者の家〉では空しいものだが、各々がうわべの諦めの背後で密かに別の生を切望しているのである。それはどこか他の場所での生、かつての生、将来の生である。「新たな生!」フィナーレで釈放を告げられたゴリャンチコフはそう歌う。ヤナーチェクの音楽は生に向かっている」と評している[11]

佐川吉男は台本について「スクラトフの役が原作ではスクラトフとバルクーシン、ルカと名乗る男がルカとフィルカ・モロゾフというように各々二人ずつの合成になっているなど、脚色に際して工夫の跡がうかがわれる。一見したところでは原作に登場してくる人生のどん底に喘ぐ種々雑多なタイプの人々の中から四、五人の囚人の物語と第一部の終わりの芝居の場面だけを粗くつなぎ、架空の原作者の入獄と出獄という額縁の中に収めただけのようにも見える。事実、音楽なしで台本を読むと、ある部分は出演者やカメラによって肉付けされる前のエスキスだけを書き込んだテレビの放送台本のようでもあるのだが、音楽となって鳴り響くとスコアの表紙に書かれた「どのような人間にも神聖な閃きある」という言葉の意味が長大な原作よりも、より直接的に胸に響いて来る。これこそ、ヤナーチェクの音楽の偉大さであり、音楽にものを言わせる余地を残した彼の歌劇台本作者としての才能である」と分析している[12]


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